時計連載 / H.モーザー vol.02

スイスのマニュファクチュールブランドH.モーザーの魅力を時計ジャーナリストで時計専門WEBサイト「Gressive」編集長の名畑政治氏に伺った連載第二回。
今回はH.モーザーの歴史について語ってもらいました。

驚きと発見に満ちたH.モーザーの歴史

ここで改めて紹介しますが、H.モーザーとは、1805年スイス・シャフハウゼンに生まれた時計師にして実業家のハインリッヒ・モーザーによって創設された時計ブランドです。時計師の家に生まれた彼は、15歳で時計師としての基礎を身に着け、より高度な時計技術の習得を目指してスイス・ジュラ地方のル・ロックルの時計工房で働きました。

ハインリッヒ・モーザー

そこで急速に腕を上げたハインリッヒは小規模ながら時計の補修部品を供給する工房を立ち上げ、1826年には独立メーカーとして置時計の製作を開始します。しかし、これに飽き足らない彼は、1827年22歳の時に新天地を求めロシアへと旅立ったのです。
当時、スイス時計界にとってロシアは注目の新市場でした。当然、現地では時計師が不足していたので、ハインリッヒはこれに注目したのでしょう。
1827年10月にシャフハウゼンを出発した彼は、約一か月かけてロシアにおける芸術と文化の中心地であるサンクトペテルブルグに到着しました。しかし、旅の途中、フィンランド湾で嵐に遭遇し、凍結した湾から脱出するためにお金を使ってしまったため、すぐに工房を開くことができず、しばらくの間、一介の時計職人として働いて資金を貯めなければならなかったといいます。
しかし翌年、ハインリッヒはサンクトペテルブルグで「H.モーザー&Co.」を設立。高品質な時計が評判となり、すぐに事業は軌道に乗りました。
そして1829年にはスイスのル・ロックルに直営工場を設立。ムーブメントの安定供給に成功して事業はさらに拡大し、短期間でH.モーザーはロシア、中央アジア、極東で最も有名な時計ブランドとなったのです。

ル・ロックルに直営工房を設立した当時の資料

大成功を収めたハインリッヒでしたが、彼はほどなく、スイスに帰ることを考え始めたといいます。その理由はル・ロックルの工房をロシアから監督することの難しさ。そして、もうひとつは彼の子どもたち(彼には4人の娘とひとりの息子がいました)にスイス人としての成長を願ったことです。
そこで1848年、ハインリッヒ・モーザーはロシアでの事業を支配人に任せ、家族と共にシャフハウゼンへと戻りました。
そこで彼は発展から取り残されたシャフハウゼンに産業を興し、活気を与える事業を開始します。なぜならスイスのドイツ語圏に属するシャフハウゼンには時計産業が根付いておらず、これに代わる産業も育っていなかったからです。
そこでハインリッヒは目の前を滔々と流れるライン河に着目し、1851年、ライン河から水を引いて運河を作り80馬力のタービンを設置。1853年には鉄道車両の製作会社を設立し、同時に時計ケースの製造工房も開設しました。
1863年、さらにハインリッヒはライン河のダム建設に着手。膨大な資金が投入され1866年4月にダムは完成。そこから供給される安価な電力はシャフハウゼンの産業振興に大きな役割を果たしました。

ライン川に建設されたスイス最大の水力発電所の当時の資料

このハインリッヒの事業の恩恵を受けたのが、アメリカ人技師フローレンス・アリオスト・ジョーンズです。彼はアメリカ流の合理的な生産システムをスイスで確立しようと計画しましたが、保守的なフランス語圏の事業家は提案を拒否。そこに手をさしのべたのがハインリッヒ・モーザーでした。1868年、ジョーンズは、モーザーから借りた建物に工房を開き「インターナショナル・ウォッチ・カンパニー(IWC)」を設立。やがてIWCは、シャフハウゼンを代表する企業へと成長しました。
1874年10月にハインリッヒ・モーザー死去。事業は支配人など後継者に受け継がれましたが、1917年にロシア革命が起こり、ロシアでの事業は撤退を余儀なくされます。ル・ロックルでの生産は継続されましたが、やがて1970年代のクォーツ・ショックでスイス時計界全体が打撃を受け、H.モーザーも1979年に別の資本に売却され生産が終了となってしまいます。ハインリッヒが創業し栄華を誇ったH.モーザーというブランドは歴史の中に埋没してしまったのです。

19世紀に建てられた当時の住まいだったシャルロッテンフェルス城は、現在モーザー博物館として、貴重な当時の時計や資料、シャフハウゼンの産業の先駆者として残した業績などの記録が貯蔵されています。

ふたりのキーマンが実現したH.モーザーの復活と再生

こうして休眠状態となってしまったH.モーザーですが、これを発掘し光を当てる人物が現れます。それがIWCで技術部長を務めていたユルゲン・ランゲ博士と、ハインリッヒ・モーザーの曾孫であるロジャー・ニコラス・バルジガー氏です。

左)ユルゲン・ランゲ博士、右)ロジャー・ニコラス・バルジガー氏

H.モーザーのコレクションが縁で知り合ったふたりは協力し、2002年に時計製造会社である「Moser Schaffhausen AG」を設立、「H.Moser & Cie.」の国際商標登録をして時計作りを再開したのです。
そして2006年春のバーゼルにおいて、新生H.モーザーは4つの新しいコレクションを発表しました。これらのモデルは、独創的なメカニズムと高精度、美しくシンプルなデザインで時計ファンから圧倒的な支持を獲得しましたが、これらに搭載されていたのが、先に紹介した天才時計師アンドレアス・ストレーラー氏が設計した独創的な機構をふんだんに盛り込んだ自社製ムーブメントだったのです。
さらに2007年には、自社工場内にヒゲゼンマイの自社一貫生産ラインを完成させ、トゥールビヨンに匹敵する精度を持つ「シュトラウマン・ダブルヘアスプリング・エスケープメント」を発表。こうして伝説の時計ブランドH.モーザーの、完全なる復活を高らかに宣言したのです。

特許を取得しているひげゼンマイ製造の機器

シュトラウマン・ダブルヘアスプリング・エスケープメント

 

次回は、「困難な状況を乗り越えて始まったH.モーザーの新たなる出発」をお届けいたします。

—–執筆—–
名畑政治氏 / 時計ジャーナリスト、
本格時計専門WEBマガジン「Gressive」編集長。85年からフリーライターとしての活動をスタート。スイスのジュネーブやバーゼルで開催されるフェアへは94年から毎年取材を行う。
時計だけでなく、カメラ、アイウェア、ミリタリーアイテムなどにも精通し、時計専門誌や男性誌など様々な媒体へ執筆、幅広い分野で活躍している。

関連記事—時計連載/H.モーザーvol.1

関連記事

  1. ビスポークの最高級時計ケース「RE・LEAF ウォッチストレージ」

  2. 特別連載 リシャール・ミル 銀座

  3. 特別連載 リシャール・ミル 福岡

  4. リシャール・ミルがまったく新しい新作「RM 65-01 オートマティック スプリットセコンド クロノ…

  5. 時計連載 / H.モーザー 最終回

  6. リシャール・ミル待望の新作モデルは、新素材グレーサーメットを採用したRM 11-05。

  7. かつてない規模の大回顧展「展覧会 岡本太郎」開催

  8. リシャール・ミルが新しい“代表作”「RM 72-01 オートマティック フライバッククロノグラフ」を…

  9. プレミアムラゲージで知られるRIMOWAから、腕時計を3本収納できる「RIMOWAウォッチケース」が…

人気記事 PICK UP!

HOT TOPICS

おすすめ記事

  1. ベントレーから第5のシリーズとなる「ベンテイガ エクステンデッド ホイールベース…
  2. ルイ・ヴィトンのトローリー第2弾は、ニット素材。
  3. H.モーザーの2つのアイコンを融合させた革新的モデル発表
  4. 蟹王府 今が旬! 上海蟹を食べるなら、自社で育て、輸入する「蟹王府(シェワンフ) 日本橋…
  5. ronherman モアナ サーフライダーに「ロンハーマンワイキキ店」がオープン、ホノルルの新名所に…
  6. Elvaの名を引き継いだマクラーレン究極のロードスター。
  7. 東山総本山 会津若松にバトラー付きの旅館「鶴我 東山総本山」が開業
  8. サバティーニの夏は“海鮮”がいい。
  9. フェラーリ、その世界一のサービスが日本にある
  10. ショーメより、海をテーマにした新作ハイジュエリーが登場
PAGE TOP