時計連載 / H.モーザー 最終回


スイスのマニュファクチュールブランドH.モーザーの魅力を時計ジャーナリストで時計専門WEBサイト「Gressive」編集長の名畑政治氏に伺った連載の最終回。
今回はH.モーザーの新たなる出発とこれからについて語ってもらいました。

困難な状況を乗り越えて始まったH.モーザーの新たなる出発

2000年に時計製造会社として復活し、2006年には独創的なムーブメントの開発に成功して新たなコレクションを発表したH.モーザーですが、実際には財務上、そしてメカニズム面においても多くの問題を抱えていました。

その結果、H.モーザーの経営は2012年にジュウ渓谷の名門時計一族メイラン家に移りました。このときCEOに就任したのがエドゥアルド・メイラン氏であり、就任と同時にメイラン氏は大胆な改革に着手しました。

H.モーザー社CEO メドゥアルド・メイラン

その結果、H.モーザーは経営基盤が安定すると同時に、ムーブメントが抱えていた数々の問題が解決されて品質が向上。
コレクションもシェイプされて各ラインの個性が明確になり、“ベリー・レア”という新コンセプトを掲げて注目度も高まるなど、世界中の時計愛好家が注目する、気鋭の高級ウォッチ・ブランドとしてのポジションを獲得することに成功したのです。

私が驚くのは、メイラン氏がH.モーザーの改革をアピールするため、CEO就任直後、即座に来日を決断し、東京でその説明会を開いたことです。

彼は実際にメカニズムの改革を担当した時計師と共に説明会を開き、そこでH.モーザーを販売する時計店や我々のようなプレス関係者、そして顧客に向かって「H.モーザーは経営もメカニズムもより良くなり健在です」ということを実際に彼の言葉で語りかけたのです。これは簡単に思えるかも知れませんが、並大抵の経営者にできることではないと私は考えています。

さらにこのときメイラン氏が提唱したのが、H.モーザーの新しいスローガンである“ベリーレア”という言葉です。どこからこの言葉が出てきたのか、私の質問にメイラン氏は、こう答えています。

「H.モーザーをどうやって他のブランドと差別化するかと考えたとき、ひとつはファミリー・ビジネスという小規模で少量生産であること、そして自社製ムーブメントを持ち、ひげぜんまいまで自社製造できること、さらに、それらのムーブメントが単に複雑なだけでなく実用性が伴っているということ、こういった特徴を持っているブランドは極めてレア(珍しい)ではないだろうか?という考えに行き着き、そこで“ベリーレア(極めて珍しい)”というコンセプトを考えついたのです。」

つまりベリーレアという言葉にH.モーザーの特徴がすべて含まれているわけですね。

ロゴにも“VERY RARE”というコンセプトが表記されている

あらゆる常識を覆すエポックメイキングな時計作り

メイラン氏による改革は、その後も続きました。そのひとつが2016年1月に発表し、世界的な話題となったスマートウォッチへのアンチテーゼ(対立する概念)として開発された「スイス アルプ ウォッチ」です。
さらに翌年1月には“100%スイス製”の「スイス マッド ウォッチ」が登場します。
これは厳格さを欠くスイス製時計の新たな規定への強烈な皮肉であり、なんとケースはジュウ渓谷で作られた本物のスイス・チーズ「ヴァシュラン モン ドール」を元に製作されていました。ストラップもスイスの牛革製で、これぞまさに「スイス製ウォッチ」なんですが、正直、「ここまでやるか!」とびっくりしたことが思い出されます。

スイス アルプ ウォッチ *生産終了

スイス マッド ウォッチ *生産終了

その後も、メイラン氏は次々と話題作を発表して業界を震撼させましたが、こういった大胆なことができるのが、エドゥアルド・メイランという人物の魅力だと思います。

ですから現代のH.モーザーにはさまざまな強みがあるのです。

第一に創業者であるハインリッヒ・モーザーの魅力です。スイスの時計界では辺境といわれるシャフハウゼンに生まれて時計師となり、ロシアに拠点を置いて大成功するというサクセスストーリーに私はなによりも惹きつけられます。
そして故郷に戻ってからは起業家としてさまざまな事業を手掛けて成功させ、スイスで最初の水力発電所も建設します。また、アメリカから来たアリオスト・ジョーンズを助けてIWCの創業をサポートするわけです。
こんなに魅力的な人物は滅多にいるものじゃない、と思いますね。

※ハインリッヒ・モーザーについての詳しい記事はVol.2へ

シャフハウゼンの市街には、ハインリッヒ・モーザーを称えた銅像や公園、生家がある

第二の魅力は現在のCEOであるエドゥアルド・メイラン氏の存在です。なによりもメイラン家というのはスイス・ジュウ渓谷における時計の名門です。

私のコレクションには古いC.H.メイランの腕時計がありますが、これを見るとわかるように、C.H.メイランは、ジュネーブの高級時計ブランドに匹敵する高いクオリティを持った高級時計でした。
そのスイス時計の名門一家が、同じスイスとはいえドイツ語圏に生まれ、そこで復活したH.モーザーという時計ブランドを手に入れて経営しているのですから、それだけでも興味が湧いてきます。
しかも、CEOのエドゥアルド・メイランは、見た目もカッコ良くて弁舌さわやか、我々の顔もちゃんと覚えて、非常にフレンドリーに接し、意見もちゃんと聞いてくれる。こういうタイプの時計会社の経営者はなかなかいません。

もちろん、時計作りに真面目に取り組んでいる姿勢が最大の強みです。
私が最初にH.モーザーのファクトリーを訪ねた時は、大きな工場の一部を間借りして時計を作っていたのですが、次に訪ねた際には、建物全部をH.モーザーのマニュファクチュールとして専有していました。
そして普通の時計工場ではやらないヒゲゼンマイの製造も初期の段階から手かけていましたし、ヒゲゼンマイの選定に用いる高精度な測定器もスイスに数台しかないものを活用するなど、単に昔の有名な時計師の名を借りて時計にロゴを入れて、といったブランドとはまったく異なるアプローチで本物の時計作りを進めているのです。

その結果、H.モーザーのヒゲゼンマイは特別な存在として他の独立系ブランドにも採用されています。こんな時計メーカーは他にありません。

現在のオフィス兼工房

ひげゼンマイを製造する専用のマシン。
0.6㎜のワイヤーを0.003㎜まで圧延する

0.003㎜という細い数本のワイヤーを小さな専用工具で巻いていく

緻密な職人の作業が繰り返されて出来上がったひげゼンマイ

しかし、H.モーザーというのは常に驚きに満ちた時計ブランドですね。それを証明するのが、先ごろH.モーザーが発表したジュネーブに拠点を置く高級ムーブメント開発工房アジェノー社との提携です。
これは正確に言えば、H.モーザーを傘下に置くメルブ リュクス社がアジェノー社に資本参加したということです。

熱心な時計愛好家なら、すでにアジェノー社の存在を知っているかも知れません。
この会社は1996年に時計師のジャン=マルク・ヴィーダーレヒトと彼の妻カテリーナさんによって設立されました。ヴィーダーレヒト夫妻はそれ以前、ロジェ・デュブイさんと共同でムーブメント開発の仕事をしていましたが、デュブイ氏は別のパートナーと共に自身のブランドを起こしました。

一方、ヴィーダーレヒト夫妻はアジェノー社を設立し、パルミジャーニ・フルリエ、ヴァン クリーフ&アーペル、ハリー・ウィンストン、アーノルド&サン、MB&F、ファベルジェ、H.モーザーなど、多くの高級時計メーカーからの依頼で複雑機能搭載ムーブメントを開発・生産してきたのです。

この提携によって、H.モーザーとアジェノー社はより強固な関係を築いて新型ムーブメントの開発を推し進めることになるわけです。

2023年5月に発表したアジェノー社がH.モーザーのために開発したムーブメントHMC907を搭載した「ストリームライナー・フライバック クロノグラフ オートマティック ファンキーブルー 2.0」
自動巻き、ケース径42.3㎜、SSケース&ブレスレット、予定価格755万7000円。年内発売予定。


私は20年近く前、このアジェノー社を訪ねてヴィーダーレヒトさんの時計作りの姿勢を取材したことがありました。その時の印象は、とにかく独創的で他の人が思いもよらない方向性で斬新かつ大胆なアイデアを具現化する人、というものでした。

今、アジェノー社の主導権はヴィーダーレヒトさんの息子たちに継承されていますが、それがエドゥアルド・メイラン氏とのコラボレーションによって、どんな新たな時計として結実するのか?
それが実に楽しみなのです。

H.モーザーCEO エドゥアルド・メイラン、アジェノー社のニコラス、ローレン・ヴィーダーレヒト兄弟

—–執筆—–
名畑政治氏 / 時計ジャーナリスト、
本格時計専門WEBマガジン「Gressive」編集長。85年からフリーライターとしての活動をスタート。スイスのジュネーブやバーゼルで開催されるフェアへは94年から毎年取材を行う。
時計だけでなく、カメラ、アイウェア、ミリタリーアイテムなどにも精通し、時計専門誌や男性誌など様々な媒体へ執筆、幅広い分野で活躍している。

【関連記事】
時計連載/H.モーザーvol.2

時計連載/H.モーザーvol.1

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