Worth ― オートクチュールの原点を辿る旅

写真/文: 櫻井朋成
Photo/text: Tomonari Sakurai

時間を纏うという贅沢――。

ウォースのドレスに包まれた空間には、過去と未来、実用と幻想が交錯している。
それは、ただの服飾史を超えた、パリのエレガンスそのものの物語である。

1900年のパリ万博のために建てられたプチパレ美術館の前庭に、「Worth – Inventer la haute couture」展を知らせるバナーが掲げられている。アール・ヌーヴォー様式の壮麗な建物とともに、ウォースが築いたエレガンスの系譜を現代に伝えている。

プチパレ美術館にて、2025年6月16日まで開催中

プチパレの館内には、チャールズ・フレデリック・ウォースの肖像とともに展覧会「Worth – Inventer la haute couture」の象徴的なドレスビジュアルが掲げられ、訪問者を19世紀ファッションの世界へと誘う。建築と衣服、二つの美が静かに共鳴する瞬間。

展覧会の導入部には、ウォースの署名とともに「Inventer la haute couture(オートクチュールの創造)」という言葉が掲げられ、ファッション史における革新の始まりを静かに告げている。

パリ8区、シャンゼリゼとセーヌの間、ナポレオン3世様式の壮麗なファサードがひときわ目を引く美術館「プチパレ(Petit Palais)」。1900年のパリ万博にあわせて建設され、市立美術館として一般公開されてから1世紀以上、絵画や工芸、彫刻など豊かな常設コレクションを擁するこの空間は、今春、特別な展覧会の舞台となっている。
その名も**「Worth – Inventer la haute couture(ウォース ― オートクチュールの創造者)」**。ファッションの制度と文化を根底から変革した一人の男と、彼の築いたメゾンの軌跡を辿る、まさにパリでこそ実現可能な、文化的ラグジュアリーの真髄とも言える内容だ。

メゾン・ウォース、7 Rue de la Paixから始まる物語

ヴィクトール・ジローが1857年に描いた《Portrait de Charles Frederick jeune》は、若き日のウォースの姿を記録する貴重な油彩画。背後には、同時代のブルーのクリノリン・ドレスが展示され、創業期の息吹が感じられる構成となっている。

1858年、イギリス出身のチャールズ・フレデリック・ウォースは、スウェーデン人の実業家オットー・ボーベルグと手を組み、パリのル・パ・ド・ラ・ペ7番地に「Worth & Bobergh」を創設する。すでに高級テキスタイルの分野でその手腕を発揮していたウォースは、衣服を単なる被服としてではなく、「演出された自己表現」の手段へと昇華させた。
皇后ウジェニーをはじめとする宮廷の女性たちがこぞってその装いに身を包んだことから、その名は瞬く間にヨーロッパ中に知れ渡る。やがて彼の息子ジャン=フィリップ、そして孫たちへとメゾンは受け継がれ、パリ発のファッションブランドとしての地位を不動のものにしていく。

“女性の24時間”―― 衣服が描く詩的な時間軸

繊細な照明に包まれた展示室では、1860年代のドレスが静かに並び、当時のエレガンスが空間全体に漂う。厚みのある絹やチュールの質感、広がるスカートのシルエットが、ガラス越しに見る者の想像力をかき立てる。衣服が語る物語に耳を澄ませるように、来場者たちは一着一着に見入っていた。

1869年頃の外出用ドレス《Robe de ville》。エメラルドがかった光沢を放つグリーンのシルクタフタに、アイボリーのレースをあしらった端正な構成が印象的。ラベルが確認される数少ない初期作のひとつで、宮廷や舞踏会だけでなく、日常の外出や旅にもふさわしい実用性とエレガンスが両立されている。

淡い金糸を織り込んだアイボリーのシルクサテンがまばゆい《Robe à transformation》は、昼と夜で異なる胴衣を付け替える構造を持つ実用的かつ華やかな一着。オフショルダーのレース仕立てのコルサージュは夜会用で、控えめな色調ながらも、フリルとドレープの豊かな装飾が着る者の動きに合わせて優美に揺れる。ウォースによる服飾の機能美と演出性が同時に感じられる代表作のひとつ。

展示の序章を飾るのは、《Vingt-quatre heures de la vie d’une femme(ある女性の一日)》と題された印象的なセクション。
ティーガウン、朝の散歩着、午後のアフタヌーンドレス、夕刻のディナーローブ、そして夜の舞踏会へ…。
時間帯と社会的状況に応じて衣服を使い分けるという、19世紀末の上流階級女性たちの暮らしが、実物の衣装とともに生き生きと再現される。
繊細なレースや羽飾り、ビーズ、リボン、時には人工の花々があしらわれたそのディテールは、まさに“着るための芸術作品”。一着一着が詩の一節のように語りかけてくる。

歴史主義と仮装――過去を纏うという贅沢

読書にふける女性の静かなひとときを描いたジョルジュ・クロエガールの《La Lecture》。上質な室内装飾と、ラウンジチェアに身を預けた柔らかな姿勢は、19世紀末ブルジョワ女性の私的な時間と審美的な暮らしを象徴している。ファッションとともに展示されることで、衣服が包む「生活の詩情」そのものが立ち上がってくる。

1870年に描かれた《La Dame au chien》は、華やかなドレスに身を包んだマダム・フェイドーの姿を通じて、ウォースの衣装がいかに絵画表現のインスピレーション源となったかを物語る。絹の反射、毛皮の柔らかさ、リボンや花飾りの繊細な質感まで、画家カロリュス=デュランは当時のファッションの“素材としての美”を見事に再現している。ウォースのドレスが芸術家たちのモチーフとなった時代の証しである。

《Twenty-four hours in the life of a woman》と題されたこの空間では、社交界の華やかな舞踏会や夜会の場面が絵画として描かれ、ウォースのドレスが纏われる「時間」と「物語」の舞台が提示されている。絹のトレーンが床を引き、赤い絨毯に映える白いドレス、優雅に振る舞う男女の姿が、まさに“着ること”が一日の演出であった時代を物語っている。鑑賞者もまた、その劇の観客の一人となる。

ウォースの作品群には、18世紀ロココや第一帝政スタイル、オペラ座の舞台衣装など、あらゆる歴史的スタイルが取り込まれている。それは単なる模倣ではなく、教養と創造の対話。彼のドレスは“衣服”であると同時に、文化的記憶の器でもあった。
仮装舞踏会のために制作された衣装の数々には、肖像画や古典文学から着想を得たものも多く見られ、ウォースの美意識がいかに知的かつ演劇的であったかが伝わってくる。

シャネルとの対話――コレクションの陰の協力者


深い藍色のシルクベルベットに、光を受けて浮かび上がるサテンのアプリケーションが印象的な1895年頃のジャケット。誇張された肩のシルエットと、前面に施された精緻な文様が、ベル・エポックのモードにおける構築性と装飾性を体現している。アメリカ人メアリー・フリックが着用したこの一着は、パリ発のオートクチュールがいかに国際的な魅力を放っていたかを如実に物語る。

淡いブルーのサテン地に、花柄のブロケードを組み合わせた1885年頃の《Robe habillée》。光の加減でわずかに虹彩を帯びる裏地の縞模様や、ウエストから裾へ流れるラインの美しさは、ウォースが日常の装いにも芸術性を持ち込んでいたことを物語る。贅沢さと軽やかさを兼ね備えたこの一着は、まさに“装う歓び”を体現している。

1893年、サガン公妃主催の仮装舞踏会にてマダム・ペクールが着用したこの豪奢なコスチュームは、スペイン宮廷の肖像画に着想を得たもので、袖に施された赤いビロードとメタリック刺繍が重厚な気品を漂わせている。背景に飾られた1859年の肖像画《ジャン=フィリップ・ウォース、インファンタの装いにて》との共鳴は、ウォース家がファッションにおいていかに歴史的意匠を引用し、再構築していたかを端的に示している。装いは舞踏会の仮装であると同時に、美術と記憶を繋ぐ鍵でもあった。

特筆すべきは、本展の準備において**シャネル(CHANEL)**が重要な役割を担っている点だ。
シャネルはそのアーカイブコレクションから貴重な衣装や装飾パーツ、当時のドキュメント類の貸出を行い、19世紀後半から20世紀初頭のフランス・モードを語るうえで不可欠な資料群が、今回初めて一堂に会した。
かつて「余分な装飾」を廃し、ウォースとは一線を画す“現代的ミニマリズム”を体現したガブリエル・シャネル。しかしその根底には、ウォースが生み出した「女性が服を選ぶ」自由への道筋が確かに息づいている。
本展は、そうしたファッション史の“断絶と継承”の物語も静かに語りかけてくる。

展示構成と体験性

圧倒的な存在感を放つロングトレーンの《Robe de cour》は、1900年頃、イギリス領インド総督夫人レディ・カーズンが戴冠式に出席するために着用した宮廷用ドレス。繊細な植物文様の刺繍と、クレープ・ド・シンの軽やかな素材が織りなす優雅なシルエットは、帝国の威光と女性らしい気品を一体化させている。展示室の奥で静かに広がるその裾は、ウォースによる服飾芸術の到達点を象徴するかのようだ。

1877年、ウォースはタッシナリ&シャテルに対して「目と耳(Yeux et oreilles)」と題されたテキスタイルの織りを依頼した。その文様はイギリス王妃エリザベスを描いた「虹の肖像画」に着想を得たもので、ウォース家のアーカイブには、ペルシャのシャーに仮装したシャルル=フレデリック本人の写真も残されている。展示されている帳簿とサンプルは、素材や色彩の選定に至るまでの緻密なやりとりを今に伝え、ファッションがいかにして壮大な物語やイメージの再構築と結びついていたかを鮮やかに可視化している。

19世紀末から20世紀初頭にかけてのオートクチュールの世界では、服はただ展示されるのではなく、実際の若い女性たちが「生きたマネキン」として顧客の前に現れ、その場で動きながら衣服の魅力を伝えていた。写真に見られるような優雅な応接室で、顧客は椅子に腰掛け、職人の手で仕立てられた最新のモデルがひとつずつ披露されるのを待った。

会場構成は時系列に沿って、ウォース一族の活動、歴史主義の影響、第一帝政様式の再評価、そして第一次世界大戦を経てメゾンが迎える変容までを追う。
展示されている衣装は状態が極めて良好で、照明演出により、布地の光沢や刺繍の立体感が際立って見える。さらに、アトリエの技術者たちの存在にも光が当てられ、ファッションがいかに多くの手仕事に支えられていたかを実感させられる構成となっている。

展覧会情報

展覧会名:Worth – Inventer la haute couture
会期:〜2025年6月16日
会場:プチパレ美術館(Petit Palais – Musée des Beaux-Arts de la Ville de Paris)
住所:Avenue Winston Churchill, 75008 Paris
開館時間:火〜日 10:00〜18:00(木曜は20:00まで)
休館日:月曜日、5月1日
入場料:無料(特別展含む)
公式サイト:https://www.petitpalais.paris.fr/expositions/worth-0

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展示の冒頭を飾るのは、1878年にアメリカ人アニー・シャーマーホーンが探検家ジョン・イネス・ケインとの結婚式で着用したアイボリーサテンのウェディングドレス。刺繍やフリンジ、シルクリボンが繊細に施されたこの豪奢な一着は、ウォースの名を国際的に広めた象徴的な作品でもある。ショーケース越しに佇む来場者の姿は、服飾に込められた祝祭と格式の空気をそっと映し出していた。


櫻井朋成

写真家。フォトライター

フランス在住。フォトグラビュール作品を手がける写真作家。
一方で、ヨーロッパ各地での撮影取材を通じて、日本のメディアにも寄稿している。

フランス在住。フォトグラビュール作品を手がける写真作家。
一方で、ヨーロッパ各地での撮影取材を通じて、日本のメディアにも寄稿している。

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