パリで“チーズの哲学”を味わう──Salon du Fromage HISADA

写真/文: 櫻井朋成
Photo/text: Tomonari Sakurai

フランスとチーズの関係

パリ1区、リシュリュー通りに構える「フロマジュリ・ヒサダ」。サロンを併設したこの看板が、街ゆく人々をチーズの世界へと誘う。

フランスの食卓では、チーズは単なる料理の材料ではない。
前菜、メインのあとにチーズを楽しみ、さらにデザートとカフェへと続く──これは家庭の日常であり、レストランの話ではない。チーズを食べる時間が明確に区切られ、その存在は“儀式”と言ってよい位置を占めている。そのためフランスは世界でも有数のチーズ消費国となっているのだ。
また、地域ごとに異なる気候風土が反映された多様なチーズが存在し、生産者や熟成士によって風味がまったく異なる。高い専門性とストーリー性を伴ったチーズを味わいたい――そんなときには、専門店に足を運ぶのが最善だ。

サロン・デュ・フロマージュ HISADAとは

整然と並ぶチーズとワイン。奥には階上のサロンへと続く階段が見える。熟成と接客の現場が一体となった、ヒサダならではの空間。

すべてのチーズは、久田さんが自ら味を確かめ、納得のいくものだけを仕入れたもの。常連客はその確かさを信じ、迷うことなくこのショーケースの前に立つ。

チーズに寄り添うワインのセレクションもまた秀逸。ジュラ地方のヴァン・ジョーヌ(黄色いワイン)まで揃える専門性の高さに、この店の哲学がにじむ。

パリ1区、オペラ座界隈のリシュリュー通り47番地に店を構える「Salon du Fromage HISADA」。
フランスと日本の美食文化を融合させた品揃えが評判の同店は、地元パリジャンだけでなく、食を愛する日本人にも愛されている 。
チーズを販売する1階と、2階には予約制のテイスティングサロン(デグスタシオン)を備え、日替わりのプレートやチーズフォンデュ、ラクレット(季節により変更あり)など本格的なチーズメニューを提供。店内にはチーズケーキやキッシュ、自家製豆腐メニューも並ぶ。

熟成士・久田恵理さんの歩み

2015年、久田恵理さんはフランスの「ギルド・デ・フロマジェ」よりメイトル・フロマジェ(最高位)の称号を授与され、同年には「日本酒熟成タレッジョ」で金賞を受賞。店内に掲げられた2枚の証書が、その実力と探究心を物語る。

2階のサロンへの階段の壁に飾られた数々の賞状の中から、ひときわ目を引く一枚。2018年、久田恵理さんはブリー・ド・モー騎士団よりシュヴァリエ(騎士)の称号を授与された。フランスの伝統と日本人の手仕事が交差する象徴でもある。

久田さんの手がけるチーズは、国際品評会でゴールドのみならず、その上位にあたる「スーパーゴールド」まで受賞している。世界が認めた熟成の妙が、この壁に刻まれている。

店を率いるのは、日本でも有名なチーズ熟成士、久田恵理(えり)さん。彼女は東京女子体育短期大学卒後、1985年両親が始めたチーズ専門店に入社。チーズの仕入れ、店舗管理、輸入などの業務を担当。2004年のパリ店開店に合わせ母と共に渡仏し、仕入れ・販売・熟成など業務のすべてを担った 。
1995年には最年少でチーズ鑑評騎士(シュバリエ)となり、その後も数々の称号を獲得。2015年には国際ギルド・デ・フロマージュ協会認定の最高位のメートル・ド・フロマジェとなり、2018年にはブリー・ド・モー協会などから連続して叙勲されるなど、フランスで熟成士として正式に認められた 。日本人として初代(母)につづく快挙でもある。

市場で認められた手腕と信頼

久田さんの手によって熟成されたチーズたちが、丁寧に店頭へと補充される。色、形、香り──すべてに心を込めて仕上げられた、小さな芸術品たち。

久田さんが手がけた熟成チーズの多くは、国際的なコンクールで数々の賞を受賞している。味わいはもちろん、見た目の美しさにもその手腕が表れている。

久田さんは直接生産者の所へ出向いて仕入れのほかにパリ近郊のランジス市場に通い、信頼できる生産者のチーズを直接仕入れる。
当初は「アジア人にはチーズの良さは分からない」と相手にされないこともあったが、フランスのテレビで密着取材されたことで状況が一変。翌日から卸業者が態度を変えたという逸話がある。
仕入れでは妥協をせず、納得のいくチーズが仕入れられない週はコンテほど重要なチーズであっても店頭に並べないほど。だが、その姿勢を理解した顧客たちは、彼女の基準を信頼し、足を運ぶようになっていった。

熟成士としての哲学と技術

色とりどりのドライフルーツや桜の葉に包まれた、久田さんならではの創作チーズたち。日本の感性とフランスの熟成技術が出会うこの一角は、店内でもひときわ目を引く。

ウォッシュタイプやヤギ系など、チーズの種類に応じて日本酒や梅酒、ウィスキー、ジンなどの酒類を使って独自に熟成するのが特徴だ。自ら「和素材 × フランスチーズ」の組み合わせを実験し、新しい味わいを生み出している 。

店舗で味わえる創作チーズと熟成工程

桜の葉と花の香り、そしてさわやかな酸味がチーズに独特の風味を与える「Sakura Japon」。包むのは、桜餅にも使われる桜の葉の塩漬け。熟成には2段階あり、酸味が際立つ初期熟成の“フレ(Frais)”、旨味と香りがまろやかに融合する“アフィネ(Affiné)”と、風味の変化を楽しめる。国際コンクールで金賞を受賞した、久田さんの代表作のひとつ。

熟成を経て仕上げられた「Sakura Japon」。塩漬けの桜の葉と花がほんのりと香り、やさしい酸味とともにチーズに春の余韻を添える。見た目の可憐さとは裏腹に、味の構成は実に複雑で奥深い。久田さんの感性と熟成技術が融合した、唯一無二の一品。

久田さんの手によって新たに命を吹き込まれたチーズたちは、どれも唯一無二の存在感を放っている。
味噌や日本酒、ジン、梅酒といった和の要素と、フランスやイタリアなど欧州各地の伝統的なチーズが出会うことで、これまでにない風味と香りが生まれる。
店頭には、そうした“オリジナル熟成”のチーズが並び、予約制のデグスタシオン(試食)では、季節や熟成の進み具合に合わせて、ベストなタイミングで提供される。
たとえば、桜の葉と塩漬けの花で包んだ「Sakura Japon」、みりんと赤味噌を使った「Chèvre Miso Mirine」、日本のウイスキーやジンで熟成されたトムやパルミジャーノなどは、味の個性はもちろん、見た目の美しさや香りの繊細さでも人々を魅了する。
これらのチーズは、単なるフレーバー付けではない。素材ごとの組み合わせ、熟成の段階、香りの変化を見極めながら、食べ頃の瞬間までをコントロールする。
そのすべてに、熟成士としての技術と感覚、そして何より「おいしい瞬間を届けたい」という思いが込められている。
そんな久田さんの創作チーズの数々を、写真とともにご紹介する。

店主ご夫妻が紡ぐ“チーズと人との時間”

1階の店舗では、ご主人が日々の販売や接客を切り盛りし、2階では久田さんが熟成の作業を進めながら、予約制のテイスティング〈デグスタシオン〉、チーズ探求コースなどでお客様を迎える。
それぞれの持ち場で息の合った仕事を重ねながら、二人でこの店そのものを、じっくりと“熟成”させているかのようだ。

1階で接客を担うご主人と、2階で熟成とテイスティングを担当する久田さん。
それぞれの役割を果たしながら、チーズの品質と顧客体験をじっくり“熟成”させている。パリにおいて「チーズを介した日常と文化」を生きる二人の姿がそこにある。

あなたの人生を豊かにする一片

久田さんのご主人が熟成のための下準備を行う。カット面の美しさは、熟成の成否を左右する。夫婦の連携が、一つひとつのチーズに最適な環境を与えている。このパルミジャーノは、日本のシングルモルト「余市 ウッディ&バニラ」で熟成される。

Salon du Fromage HISADAは、ただのチーズ専門店ではない。チーズにまつわる歴史、技術、日本とフランスの文化、そして熟成士の情熱が重なる“体験の場”だ。
「どのチーズがいま一番おいしいの?」「あのお酒と合うものは?」――そんな問いに対し、知識と技術で答え続ける。この店があなたの日常をちょっと豊かにしてくれることは間違いない。

Salon du Fromage Hisada
47 rue de Richelieu, 75001 Paris
+33 (0)1 42 60 78 48
営業日:水曜日 15:00-19:00
木〜土曜日 11:00-19:00
(8月、1月に長期休暇あり)
公式サイト https://www.hisada.fr/
Facebookページ https://www.facebook.com/FromagerieHisada

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赤味噌とみりんで仕立てた特製ソースを丁寧に塗り重ね、ゆっくりと風味を浸透させていく「Chèvre Miso Mirine(シェーヴル 味噌みりん)」。左は下処理前、中央は塗布直後、右へ進むにつれて熟成が深まり、旨味と香りが凝縮されていく。

櫻井朋成

写真家。フォトライター

フランス在住。フォトグラビュール作品を手がける写真作家。
一方で、ヨーロッパ各地での撮影取材を通じて、日本のメディアにも寄稿している。

フランス在住。フォトグラビュール作品を手がける写真作家。
一方で、ヨーロッパ各地での撮影取材を通じて、日本のメディアにも寄稿している。

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