ここ2年ほどパンデミックのために旅行自体が難しくなっているが、遠からぬ将来、久々に足を踏み入れたら驚くほど違った様相で、否応なくその魅力を再認識させてくれであろう街が、パリだ。というのも市内のセーヌ川沿い、それこそど真ん中の界隈から、以前のパリとはまったく異なる姿に変貌しつつある。おもな理由はふたつほど挙げられる。
まず昨夏、東京2020からの派手な引き継ぎセレモニーで示された通り、フランス政府も自治体も民間も、2024年パリ五輪に向かって再開発へギアを上げていること。もうひとつは、フランスを代表するラグジュアリー・グループがほぼ社会貢献といえる枠組みで、競い合うようにパリの歴史的建造物を次々とリノベーションしていることだ。
グッチやバレンシアーガ、ボッテガ・ヴェネタやイヴ・サン・ローランを擁することで知られるケリング・グループは、現代アートのコレクターであるフランソワ・ピノー会長の肝いりで、昨夏「ブルス・ドゥ・パリ ピノー・コレクション」をオープンした。これを皮切りに今度は、LVMHグループが2000年に取得したものの、建物の安全性の問題で長らく閉鎖せざるを得なかった伝統ある百貨店、「サマリテーヌ」を見事に蘇らせた。
バスティーユ広場からコンコルド広場までを貫くリヴォリ通りは、昨夏よりバスやタクシーや配達以外では自動車乗り入れ禁止となり、自転車や電動キックボードを駆るパリの人々がヒュンヒュンと静かに行き交う通りとなった。この生まれ変わったリヴォリ通りとセーヌ川の間に、サマリテーヌはある。19世紀に創業した老舗デパートはボン・マルシェやギャルリー・ラファイエット、プランタンなど、パリでは珍しくはない。が、サマリテーヌの特別さは何といってもこの立地にある。「9 rue de la Monnaie(ラ・モネ通り)」の住所は1870年の創業時からで、河岸を挟んでポン・ヌフのたもと。ちなみに90年代の映画「ポン・ヌフの恋人」は実地でなく南仏モンペリエ郊外の巨大セットで撮影されたが、「SAMALITAINE」と掲げた建物の描かれた背景は、非現実のポン・ヌフを決定的に本物らしく見せるランドマークだった。
3つの時代の建築を融合し16年ぶりに再開するサマリテーヌ
今回、サマリテーヌはじつに閉鎖から16年もの長い期間を経てリニューアル・オープンした。パリ右岸屈指の一等地にある歴史的建造物が長らく塩漬けになっているのは無論、多くのパリジャンが残念に思っていた。とはいえLVMHグループのベルナール・アルノー会長は元々、不動産デベロッパー会社から身をおこした人物で、ノートル・ダム大聖堂が焼けた時にはすぐさま200万ユーロ(約260億円)を寄付したほど、フランスやパリ中心部の歴史的な街並に寄せる関心に、並々ならぬものがある。
サマリテーヌの見どころは大別して3つの時代に分かれる、建築の魅力だ。ひとつ目はベル・エポック期のアールヌーヴォー様式で建てられ、鉄骨に支えられたガラス天井を含むメイン棟。セーヌ川寄りの棟は、昨年より「ホテル・シュヴァル・ブラン」に生まれ変わったアールデコ期の増築部分だ。これらと通路で連結されたリヴォリ通り側は、日本の建築事務所SANAAの設計が、サマリテーヌの新たな在り方として21世紀にふさわしい姿をモダン解釈し、設計した新棟だ。今回はホテルを除くアールヌーヴォー部分とSANAAによるモダン・サイドを紹介する。
ガラス天井の柔らかな光芒が美しいアールヌーヴォー建築のポン・ヌフ館
まずはラ・モネ通り側からファサード外観を眺めてみよう。屋根の雰囲気は19世紀以来のオスマン様式に通じつつも、広く大きな採光のガラス窓と、それらを支える機能構造だが、装飾をも兼ねた鉄骨、取扱い品を記したレタリングが、目に飛び込んでくる。「光の街」とパリが呼ばれるようになった19世紀末から20世紀初頭、日本では明治後期にあたるベル・エポックそのままのサマリテーヌは、エッフェル塔やグラン・パレとほぼ同じ時代の、驚異に満ちた建築だったのだ。
建物の内部に入ったらまず最上階へ。ガラス屋根の内側は、圧巻だ。「グラン・エスカリエ(大階段)」の吹き抜けを見下ろしながら、足元の床のキューブガラスが、上から注ぐ光をそのまま階下へ通す効果に気づく。じつは2005年に閉鎖された際の直接の原因は、このキューブガラスの結合が脆くなったせいで、昔は5層すべてがキューブガラスのフロアだったが、今回のリノベーションで最上階のみとしたとか。新しいガラス屋根は光量を調整できるスマートガラスで、その下は孔雀やバラ、葡萄の木といった動植物モチーフに太陽をイメージした色彩によるフレスコ画が、四方をぐるりと取り囲む。手すりや柵を彩る約600枚のマロニエの葉にも、一枚一枚に金箔が張られ、鉄とガラスで構成された空間とは思えない、柔らかな光芒に包まれている。
タイムスリップか時間が止まったような、この最上階の雰囲気の中に、朝10時の開店早々から20時閉店間際まで、グラスのシャンパーニュから軽食にディナーまでノンストップサービスで楽しめるダイニングバー、「VOYAGE(ヴォワイヤージュ)」がある。併設の「クリュッグ・スタジオ」では、このシャンパーニュ・メゾンが考案したマリアージュ・メニューが、ここでのみ、特別に供される。やはり新生サマリテーヌでは、食の楽しみに格別の注意が払われ、館内に都合12軒ものカフェやレストラン、ビストロや軽食カウンター、ストリートフード、ジュースバーが備えられている。いつ何時に訪ねても飽きさせないラインナップなのだ。
地上階に降りてみると、誰もが大階段は見上げては、写真を撮らずにいられない。最上階から眺めた時と、また異なる趣だ。踊り場の裏や鉄骨の接合部にまで、蔦模様の装飾が張り巡らされている。大階段の手すりと韻を踏むように、売場の什器や陳列台も柔らかな曲線で、建物内部の雰囲気を壊さない。半透明のモザイクで示されるコンシェルジュリは、ヴーヴ・クリコのステーションに隣り合っていて、階段下の天地の狭いスペースと白いタイルまで、地下鉄の駅をイメージした造りだ。当然、パリのメトロも1900年の当時、パリ万博の目玉だった。
波打つガラスファサードが話題のSANAAが手掛けたリヴォリ館
それでも生まれ変わったサマリテーヌは、レトロ趣味なだけの百貨店ではない。リヴォリ通り側のファサードも、ガラスを金属で支えるアールヌーヴォー以来の素材と構造、その最新版といえる。しかし波打ったガラスが、ひと味もふた味も違ったやり方で、周囲の旧いパリの街並を映し込む。その下を、自転車や電動キックボードがほとんど音もなく駆け抜けていく光景は、近未来的というかシュールでさえある。
最大限に自然な太陽光を、心地よい塩梅で内部に取り込もうとする造りも、伝統のアールヌーヴォー棟と考え方は同じで、四角四面のデザインではなく、あくまで視覚的に柔らかく明るい採光は、リヴォリ棟にも相通じるところ。こちらの売場はカジュアル・シックなストリートファッション系のブランドがメインだ。その世界観に組み合わされるフードは「ストリート・キャビア」。キャビアをバゲット・サンドイッチで、しかもリュイナールやモエ&シャンドン、ヴーヴ・クリコらシャンパーニュと一緒にカウンターやテイクアウトで食すという趣向だ。ちなみにこちらの建物の一部には、LVMHグループの香水ブランドであるゲルラン本社が入居していたり、パリ市が課した再開発要件として社会住宅、つまり低所得者向けの公営住宅に供される部分もある。
パリらしい生活様式の昔と今を繋ぐ新たなショーケース
いわゆる日本的な感覚の百貨店と一線を画す点は、サマリテーヌは眺めて楽しいだけの場所でなく、パリでショッピングを楽しむツーリスト・スペシャルな造りでも、工夫されている。例えば団体バスの発着場所は、街景を邪魔しない地下から、近未来風のトンネル通路で繋がれている。その先の地下フロアには3700m2という欧州最大のコスメティック売場が設けられ、老舗から自然派まであらゆるブランドが揃う。当然、デタックスも同じフロアで受けられれば、「ル・サンク・モンド」というスパもあって、フェイシャルからボディまで空き時間や段階に応じた施術メニューを受けることも可能だ。
また館内にはバスルームまで備えた、VIP限定のプレステージラウンジがある。もちろん上顧客がショッピングの合間に寛ぐためのスペースだが、各サロンに「書斎」や「閨房」、「パリ風アパルトマン」といったテーマが明確に決められていて、それぞれにフレンチ・タッチ豊かなインテリアだ。アールヌーヴォーやアールデコにルイ王朝風、帝政期風といった様々な時代の様式が、反映され混じり合った家具の構成や配置が、きわめてリッチな色彩ごとユニークなのだ。
いわば新生サマリテーヌの素晴らしさは、ただ時間と予算をかけて豪華リニューアルが施されたことではない。アートや食を通じた文化的でコンテンポラリーな消費生活という、パリらしい生活様式の昔と今を繋ぎ、その見事なショーケースたりえている点にある。それこそが、床面積あたりの資金効率にばかり囚われた紋切型のショッピングセンターでは味わえない、何かでもある。まとまった広さとか人通りが多いとかいう見込み以前に、次の時代に受け継ぐべき芸術作品のように、手塩にかけたからこそ輝きを増す、そうした情熱や物語の対象になりうる立地や不動産は、やはり世界中のどこにでもあるわけではないのだ。
Samaritaine
9 Rue de la Monnaie, 75001, Paris
営業時間/10:00-20:00、年末年始等は短縮営業あり
<文、写真・南陽一浩>