前編後編に分けてご紹介するリシャール・ミルの新作「RM 40-01 オートマティック トゥールビヨン マクラーレン スピードテール」。
後編は、自動車専門誌や男性誌に寄稿され、自動車業界最前線でご活躍されている南陽一浩さんに、今回の新作モデルを自動車ジャーナリスト目線でご紹介いただきました。
5月12日欧州時間の夕刻、パリから全世界に向けて催されたオンライン発表会にて、リシャール・ミルの新作「RM 40-01 オートマティック トゥールビヨン マクラーレン スピードテール」が、ついにヴェールを脱いだ。車の造り手として、マクラーレンはリシャール・ミルともっとも長くパートナーシップを結んでいるレーシングカーならびにロードカーのコンストラクターだが、その関係は単に自動車メーカーと時計メーカーのコラボレーションにとどまらない。
というのも、リシャール・ミルはエクストリームなスポーツウォッチの造り手であるにとどらまず、FIAの役員としてレースオーガナイザーを務めもし、博覧強記のエンスージャストという顔をも併せもつ。数年前、インドアのヒストリックカーイベント、「レトロモビル」において、彼は自らのコレクションの一部を披露した。レトロモビル自体はパリのクルマ好きの間では毎年の風物詩にして好事家の巨大サロンなのだが、その時のテーマというのが、世界中の自動車博物館がのけぞりそうなほど、奮ったものだった。
▲写真・南陽一浩
それは「60~70年代の4輪駆動または6輪の、英国製F1カー」だった。忘れ去られていた往時のハイテクにして、複雑極まりないメカニズムの粋を網羅した、唯一無二のコレクションだ。その中にはマクラーレンの1969年製の4輪駆動F1マシンで、デレック・ベルがドライブしたM9Aが含まれていた。これが縁で、いわばリシャール本人の個人的な情熱の産物が、マクラーレンとのパートナーシップ締結の発端となった。
▲写真・南陽一浩
マクラーレン・オートモーティブとのコラボによるリシャール・ミルの特別な時計は、これまでも2モデルが実現されてきたが、両者の視線は過去や現在の時間軸にとどまらなかった。つまり未来への時間軸、新しく純粋な技術的革新を、クルマと時計の双方から、ゼロから専用設計・開発することで、その世界観を完璧に一致させること。レベルの高い要件に対して妥協のないエンジニアリングを実践する両メーカーだからこそ、まだ見ぬ地平を目指すのは自然なことだった。とはいえ、今回のタイムピースのケースの開発には約2800時間、約1年半、ムーブメントの開発には約8600時間が費やされたのだが。
ここでマクラーレン・オートモーティブの「スピードテール」について説明しておく。通常シリーズのGTではなく、以前の「セナ」と同様に「アルティメットシリーズ」として開発されたモデルで、106台のみが生産されるハイパーGTだ。ハイブリッドのパワートレインの出力はじつに1050psに達し、最高速度は400㎞/h、300㎞/hまでの加速はわずか12.8秒という値が公表されている。“GT”を名のるだけに400㎞/hは一瞬だけ到達する最大速度というより、巡航できるそれ、というニュアンスが強い。
だがスピードテールをきわめて特別な一台にしているのは、数値スペックではない。異次元領域にスムーズに進入していくことを予感させる宇宙船めいたデザイン、あるいは高速域で走行できるだけでなく、快適性を支えるために最適化された革新的デバイスの数々が、ミニマルでありながら可視化されているのだ。ロングテールのエレガントな空力ボディは、空気を切り裂くような従来的ウェッジシェイプではなく、滑らかに柔らかく入り込んでいくような水滴型シルエットをしている。ドライバーを中央に座らせるシート配置は90年代のマクラーレンF1同様。完璧にシンメトリーなバランスと環境を作り出し、広く開かれた前方視界の中に映るであろう前例のないスピード感でもって、快適で豊かな時間を作り出すと、マクラーレンは説明する。
翻ってRM 40-01という、もうひとつのスピードテールにも、未知の時間というか、まったく新しい官能的な時間が流れている。カーボンTPT®のミドルケースを、グレード5チタンのケースバックとベゼルで挟んだ構造はリシャール・ミルには馴染み深いものだ。しかし通常シリーズで定番のトノー型ではなく、2時・4時・8時・10時それぞれの位置が抉られた異形のベゼルを備える。これはハイパーGTの方のスピードテールを、真俯瞰で眺めた時に際立つフェンダーやエアスクープの滑らかな面の繋ぎを、彫刻的に捉えたものだ。
かくしてRM 40-01のケースは真正面上から見ると完全なシンメトリーだが、他方で横から覗くと、12時側が厚く、6時側に向かって天地の厚みが絞られていく。これはハイパーGTの、リアエンドに向かって細くすぼまっていく特徴的なシルエットに照応するディティールといえる。ところがハイパー・ウォッチの面目躍如は、まだその先にある。
そもそも文字盤は実車の水滴型キャビン、つまりフロントウインドウからルーフ、リアウインドウと縦長のブレーキランプに至る形状に着想を得ているため、まるで車内を上から覗き込むような効果でもって、オーナーは手首の上の文字盤に正対することになる。シンメトリーの中に、時針と分針、そしてオーバーサイズデイトやパワーリザーブといった数値や表示を、計器として読み取る経験は、ハイパーGTの車内インターフェイスそのものでもある。その感覚を決定的に裏づけるのが、4時位置のプッシュボタンと、3時位置にあるN-W-H(ニュートラルー巻き上げ-時刻合わせ)のファンクションセレクター表示だ。このプッシュボタンは、スピードテール独特の操作性の要であるオーバーヘッドコンソール、そのダイヤル形状そのものだ。ハイパーGTのコクピットに座ったことのある者にしか、馴染みもなければ触ったこともないはずの代物。外から眺めて操っていたはずの時計、その世界観の中へと引き込まれてしまう魔法が、ここにある。
©johnwycherley
しかもシャシーにマウントラバーを介し、チタン製ネジで固定されたCRMT4キャリバーは、スピードテールのためにリシャール・ミルがインハウスかつエクスクルーシブで開発したトゥールビヨン・キャリバーだ。その心臓部たる天輪とブリッジの優雅な脈動は、6時位置側、まさしくリアミッドシップ位置に確認することができる。この動きを支える自動巻きシステムの要、可変慣性モーメントローターは、コア部分にグレード5チタンを、ローターにプラチナを、そして錘の一部にレッドゴールドという、外側に向かって比重を増す構成で高効率を実現している。さらに香箱には高速回転バレルを、輪列には圧力角20度のインボリュート歯車を採用することで、パワーの伝達を、質が高く最適なものとしている。自動車と時計のメカニズムが、かくも高いレベルで互いのパフォーマンスと完成度、何より核となるスピリットに近づいた例はない。
ハイパーGTと同様に全世界106本限定で生産されるハイパー・ウォッチは、実車のスピードテール・オーナーに優先的に販売される。とはいえ幸運なる未来のスピードテール・オーナー以外にも、リシャール・ミルとマクラーレンは特別なエクスペリエンスを用意していた。それは「SPEED TALE(スピードの話)」と題された映像で、RM 40-01発表と同時にユーチューブ上で公開されている。ギョーム・ミルの指揮による、短編映画のような90年代風のビデオクリップ作品で、ジャミロクワイの「コスミック・ガール」と砂漠のワインディングロードを背景に、スピードテールとP1という2台のマクラーレンが、ドライバーの腕に着けられたもうひとつのピースたるスピードテールとともに、疾走する。検索は speed tale richard mille で、無論、必見だ。
文/南陽一浩(なんよう・かずひろ)
1971年生まれ、静岡県出身、フリーライター。2001年に渡仏しランス・シャンパーニュ・アルデンヌ大学にて修士号取得後パリを拠点に日仏の自動車専門誌や男性誌に寄稿。2014年に帰国して現在は日本に拠点を移し、雑誌全般とウェブ媒体で試乗記やコラム、紀行文等を担当。2020年よりAJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員。