時を愛するということ Yveline Antiques — 美の記憶を受け継ぐ場所

写真/文: 櫻井朋成
Photo/text: Tomonari Sakurai

春の光が差し込む朝、Yveline Antiquesの扉が静かに開かれた。その正面には、優雅なシャンデリアと時を超えた美が並ぶ店内がちらりと見える。この店がある場所は、ドラクロワがかつて住んでいたアトリエが目の前に広がる美術館のすぐ隣。歴史的な空気と、アートの息吹が交錯する特別な場所だ。

セーヌの左岸。カルチェ・ラタンに隣接するパリ6区の一角には、静けさと品格が溶け合うような空気がある。
サン=シュピルス大聖堂の鐘の余韻が聞こえるこのエリアには、19世紀の詩人や芸術家たちの足跡がいまも残っている。
その一画、細い石畳の路地がふと小さな広場のように開ける場所に、「Yveline Antiques」は佇んでいる。

1954年以来、美と記憶を受け止めてきた場所

19世紀、青いローブと羽飾りの帽子を纏った幼子の肖像(油彩・33×24cm)。部屋と部屋をつなぐアーチの壁に、まるで時の門番のように佇んでいた。

控えめなファサードを抜けて店内に足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。時間がやわらかく伸びて、過去と現在のあいだに立っているような、そんな感覚が訪れる。
ここは、かつて祖母イヴリンが71年前に開いたギャラリー。1954年の創業以来、ずっとこの場所で、美と記憶を受け止めてきた。

“かつて誰かが暮らしていた痕跡” そして “これからまた誰かの暮らしに寄り添うもの”

「祖母が遺したこの空間には、静かな対話が今も流れている気がするんです。」Yveline Antiquesのオーナー、アガタさん。店の名前にもなっている祖母イヴリンが71年前に創業し、22年前に亡くなったあと、母ではなく孫である彼女が店を受け継いだ。かつて祖母と過ごした記憶、家具やオブジェに宿る「ものの気配」を大切にしながら、彼女はこの空間に自分の調和を織り込んでいる。

現在のオーナーは、その孫娘であるアガット・デリュー。
彼女は長らく出版業界で働いたのち、三人の子を育て、再びこの店へと帰ってきた。イヴリン夫人がそうであったように、美しいものを選ぶ確かな眼と、空間を整える静かな手がある。
「アンティークって、過去のものじゃないんです。生きているんですよ」
柔らかな声でそう語るアガットの言葉が、この場所の本質を言い表している。アンティークとは、“かつて誰かが暮らしていた痕跡”、そして“これからまた誰かの暮らしに寄り添うもの”。そう信じているからこそ、彼女の選ぶ品々にはすべて“物語”がある。
私がこの店を訪れた日、アガットはふと空を見上げながら、こう呟いた。
「今日は祖母の命日なの。22年前の今日、彼女は亡くなったの」
その声には、驚きと静かな感慨が入り混じっていた。まるで、私がこの場所に足を運んだことそのものが、彼女との再会のようにも感じられたという。あの空間に漂っていたあたたかい気配は、きっとその想いの名残だったのだろう。

清らかな空間の調和と配置へのこだわり

優美な楕円のフレームに収められた、水彩による《シャルル・シャルパンティエの肖像》(1830年頃)。フランスの画家ジャック・ドニ・シャルパンティエの息子シャルルを、姉セレストが結婚前に描いた一枚。紙の裏には、その物語が今もそっと記されている。

店の奥には、一般には見せないという大きな聖アンヌ像がひっそりと置かれている。
幼子マリアを抱いたその姿は、アガットにとって「店を守ってくれている存在」。誰にも見せない——その行為そのものが、この空間の清らかさを象徴しているように思える。
調和と配置へのこだわりも、彼女の審美眼を物語る。ギャラリーの展示は、単に美しいものを並べるだけでなく、「どの角度から見ても均衡が保たれるように」と、細部まで神経が行き届いている。それは自宅のアパルトマンでも同様。生活そのものが、一つの静謐な舞台のように整えられている。

18世紀の水銀鏡をはめ込んだ金彩木彫のトゥルモーと、祝福の手を差し伸べる19世紀のEnfant Jésus。ルネサンスへの憧憬と信仰の静けさが、時代を越えて共鳴する。

進化していくかたちの純粋さが見える、印象的な佇むマネキンたち

19世紀初頭、フランスで制作された等身大の画家用マネキン。わずかに残るポリクロームの顔料が、その沈黙にかすかな体温を与える。背中に取り付けられた真鍮製のラベルには「P. Berville Paris」と刻まれている。高価な製作ゆえ、当時は画材商が所有し、画家たちに貸し出されていた。ゴッホも通ったというパリの有名店で、かつて誰とすれ違ったのだろうか。

そして印象的なのが、店内に静かに佇む画家用マネキンたち。
18世紀末から19世紀にかけての作品で、木の節や関節、姿勢ひとつひとつに、当時の職人の手の跡が残っている。それはもはや道具というより、小さな彫刻であり、生きたかたちの記憶だ。
「座っているこの子は19世紀のもので、動きのバランスがとても美しいでしょう?進化していく“かたちの純粋さ”が見えるんです」
そう言ってアガットが手を添えると、マネキンが本当に呼吸しているかのように思えてくる。
この空間ではすべてが静かに、そして確かに“生きて”いるのだ。

「時を愛する」物語のような空間

《家族の遊戯》― トロンプルイユ装飾のある18世紀末のトワル・ペイント(フランス)。バロック的な建築空間と開かれた風景、そして親子が遊ぶ穏やかな場面が描かれている。かつてシャトーのテラスを彩っていたであろうこの壁画は、今もなお空間に静かな貴族趣味の記憶を宿している。

作品の多くは、ヨーロッパ中を巡って自らの足で見つけてきたもの。気になる一点があれば、イタリアでもどこでも取りに行く。ある絵を迎えるために、同じ日中に三度、ギャラリーを訪れたこともあるという。
この場所を訪れるのは、人生の節目に何かを探しに来る人々。そして、パリ・コレクションのたび、発表を終えたデザイナーたちがふらりとこの店を訪れる。創作の余韻の中で、次のインスピレーションを静かに受け取るために。
物語のような空間で、語りかけてくるものに耳を澄ます。
それは、過去を懐かしむというよりも、「時を愛する」という行為なのかもしれない

《守護天使と子ども》、ポリクローム木彫、18世紀。この作品はアガタさんの個人お気に入りの逸品。表情豊かな子どもの視線と、天を示すような天使の構図が、祈りと保護の象徴である「守護」というテーマを温かく、親密に伝えてくれる。金彩の衣装には時代の様式美が宿る。

Yveline Antiques
4 rue de Furstemberg 75006 Paris
Yveline Antiquités
Instagram (@yvelineantiques)

PHOTO GALLERY

04

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小さな台座の上に立つ、祝福の笑みをたたえた幼子イエス。17世紀アンダルシアで制作された鉛のポリクローム彫刻《Enfant Jésus triomphant》。彩色された木製の台座がその足元を支え、人間としてのあたたかさと、神としての荘厳さ、その両方を宿す存在。

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