
ショーウィンドウに金文字で描かれた「Librairie(書籍店)」「Patrimoine photographique(写真遺産)」の文字が、この店の姿勢を静かに語る。アンティーク・フォトは、単なる中古カメラ店ではない。ここは、写真という文化の記憶を守り、未来へと手渡すための小さな記念館でもある。
アンティックフォトギャラリー──ここは単なるカメラ店ではない。パリ6区、リュクサンブール公園のすぐそばに位置するこの空間は、写真と映像の歴史そのものに出会える場所である。2025年はライカ誕生から100周年にあたる記念すべき年。ちょうどこの原稿を書いている今、ドイツ・ヴェッツラーではその祝祭が行われている。しかし、カメラの歴史はライカ以前にさかのぼる。むしろその黎明期こそが、この店の真骨頂である。
店主の目で選ばれ、修復され、分類された写真機材の数々が並ぶ

リュクサンブール公園から細い路地を折れると、静かな石造りの建物に「Antiq-Photo」の控えめな看板が現れる。ここは、古き良き時代のカメラと写真が静かに息づく、小さな写真機の聖域だ。

同じ通りの向かい側には、海水浴を楽しむ三人組が記念撮影に臨む姿をかたどったユーモラスなフィギュアが飾られている。黒布をかぶった古典的なカメラマンとともに、この飾りは店のトレードマークとして通りを行き交う人々の目を引いている。
店主のセバスチャン・ルマニェンは、もともと報道写真家としてキャリアをスタートし、その後、写真と映像の歴史に魅了され収集家・研究者として独自の道を歩んできた。世界中から集められた写真機材の数々は、どれも彼自身の目で選ばれ、修復され、分類されたものばかりである。現在は通りを挟んで2店舗体制。さらに2025年秋には3店舗目のオープンも控えている。
19~20世紀初頭の写真技術の進化が見てとれるギャラリー

店内風景。まるで19世紀に迷い込んだかのような空間。大型の暗箱カメラ、真鍮製の望遠鏡、重厚なレンズやヴィンテージカメラが所狭しと並ぶ。博物館でも見かけないような希少な機材が、まるで静かに語りかけてくるかのように陳列されている。
ギャラリーには、カメラという言葉が生まれる以前の装置、すなわち暗箱にレンズを取り付けたようなものや、ステレオ写真に使われたビュアー、湿板写真に対応した撮影・現像一体型の携帯暗室など、19世紀中葉から20世紀初頭の技術の進化が濃縮されている。初期のカメラ、いわゆる暗箱(カメラ・オブスクラ)は、文字通り木製の箱に過ぎなかったが、やがてそれは装飾性を帯び、真鍮やレザー、木目を活かした素材へと変化していく。写真の文化が市民に根付いてゆくのと同時に、カメラもまた“美しい道具”として進化していった。
フランスで発明された写真が名匠達の手を経て文化に

精緻な装飾枠に収められた初期のダゲレオタイプ。真鍮レンズやステレオビュアーとともに、19世紀の視覚文化が静かに息づく光景。写真というより「記憶の遺物」に近い佇まいがある。

複製不可能だったダゲレオタイプだからこそ、その一枚に込められた存在感は圧倒的だ。繊細な細工が施された額装もまた、唯一無二の肖像にふさわしい舞台装置。Antiq Photoでは、カメラだけでなく、こうした“写された記憶”そのものも扱っている。
また、写真がフランスで発明されたという事実は決して偶然ではない。1839年のダゲレオタイプ発表以降、フランス──特にパリ──は写真技術の実験場であり、創造の中心だった。レンズメーカーからカメラ製作所まで、数多くの職人とメーカーがしのぎを削り、ジャン・バティスト・ジャマンやエルマジスといった名匠の名がレンズ銘板に刻まれる時代となった。Antiq Photoには、そうしたフランス初期写真文化の証人ともいえる実物が多数並び、単なる骨董ではなく“生きた文化財”としての存在感を放っている。
写真文化を牽引したステレオカメラ

フランスのシュィエルツによる1850年代製のコロジオン湿板式ステレオカメラセット。撮影直後に濡れたガラス板を現像する必要がある湿板技法に対応し、撮影・現像を一体化した携帯型の実験室として設計された。立体写真の制作に用いられた貴重なフランス製機材で、こうした一式が完全な形で現存するのは奇跡に近い。

現像用ボックスの扉を開けると、内部には湿板写真に使うガラス板を乾燥・保管できるスロットが備わっている。木箱に残る黒い染みが、コロジオン溶液を扱っていた痕跡を静かに物語る。

写真に写っているのは、JAMIN Darlot(ジャマン=ダルロー)と刻印されたフランス製の真鍮製ポートレートレンズ。19世紀中頃に活躍したフランスの光学技術者 Jean-Baptiste Jamin(ジャマン) は、後に Darlot(ダルロー) と提携し、パリの「rue Chapon(シャポン通り)」で高品質な写真用レンズを製造しました。彼のレンズは、美しい絞り羽根のボケ味と柔らかな描写で知られ、多くの肖像写真スタジオに採用されました。刻まれたアドレスと製造番号は、当時の職人の誇りと個体管理の証。今なお多くのコレクターが熱い眼差しを向ける、19世紀フランス光学技術の粋がここにあります。
とりわけ注目すべきは、ステレオカメラの存在である。そもそも立体視のための装置は、写真の誕生以前から光学玩具として人気を博していた。左右の視差を利用した2枚のイラストを専用のビュアーで覗くことで、立体的な錯覚を得るという仕組みは、すでに19世紀前半から広く親しまれていた。
やがて写真が発明されると、このステレオ原理はすぐに応用され、ステレオ写真が爆発的に流行する。記録性とリアリティが加わったことで、ステレオビューは単なる娯楽を超え、世界を立体的に“見る”ことを可能にした。結果として、ステレオカメラは19世紀中盤の写真文化を牽引する役割を果たした。Antiq Photoには、そうした黎明期のステレオカメラや、対応するビュアーの実機が豊富に揃っており、視覚文化の進化を実感できる貴重な展示空間となっている。
たとえば、フランスのシュィエルツによる1850年代製のステレオカメラセットは、濡れたガラス板を即座に現像できる機構を備えた“移動式暗室”ともいえる存在。こうした完品で現存するのは奇跡に近い。
コレクター垂涎の撮影・映写兼用のカメラが揃う

中央は、リュミエール兄弟の名が刻まれた「シネマトグラフ」。撮影・映写・現像の3役をこなす19世紀末の画期的な装置で、映画誕生の象徴ともいえる存在。左の銀色のボディは、戦間期に登場した初期のアマチュア向けシネカメラで、映像表現が家庭に浸透し始めた時代を物語っている。

フランス・パリの Comptoir Général de Photographie(57 rue Saint‑Roch) 製、1895年頃の二連式幻燈(マジックランタン)。飴色のマホガニーボディに真鍮製2眼&煙突型の灯室を備え、レンズは焦点移動式のアクロマート設計。講演会などで**“フォンドゥ・アンシェネ”**(画像が自然に溶けるようなクロスフェード効果)を可能にした、当時の映像演出技術を体現するプロ用幻燈。

写っているのは、テクニカラー3ストリップ・カメラ(Technicolor Three-Strip Camera)。1930年代初頭に登場し、世界で初めて本格的なカラー映画撮影を可能にしたカメラとして知られる。カメラ内部で分光ミラーによりRGBの光を3本の35mmモノクロフィルムに分けて同時に記録する仕組みで、極めて高い解像感と鮮やかな色彩を実現した。映画『オズの魔法使』や『風と共に去りぬ』など、ハリウッド黄金期の名作の多くがこの方式で撮影された。巨大な筐体と独特のブルーの塗装が特徴で、運用には熟練のオペレーターと専用の機材チームが必要とされた。技術的にも歴史的にも、カラー映画の原点にして最高峰のフィルムカメラのひとつである。※写真提供Antiq Photo
また、初期の幻燈装置やシネマトグラフ、リュミエール兄弟の名前を冠した撮影・映写兼用のカメラ、さらには映画黄金期に活躍したテクニカラー3ストリップ・カメラなど、映像分野の機材も豊富に揃う。映像が動き出す以前から、色を持ちはじめるまでの物語が、実物とともに静かに並んでいる。
戦前のバルナック型LeicaからM型の希少モデル、さらには記念モデルとして制作された「Leica M6 “Ein Stück Leica”」など、近代カメラの金字塔も例外ではない。1950年代のNikon S3、Contax IやContaflexなどのドイツ機、珍しいフランス製Cyclope、そして今やコレクター垂涎のローライ各種やVOIGTLANDERのBergheil De Luxeまで、すべて実際に購入が可能だ。
それぞれに歴史が刻まれ物語を持つ歴史的光学製品の数々

右がAntiq Photoを率いるセバスチャン・ルマニェン(Sébastien Lemagnen)、左が右腕として店を支えるアドリアン・オフォール(Adrien Aufort)。豊富な知識と誠実な対応で、機材の質問から歴史的背景まで丁寧に教えてくれる頼もしい存在。現在アドリアンは日本語を猛特訓中で、日本の来店者にも心強い味方となりつつある。
販売されているとはいえ、それらは決して単なる“中古カメラ”ではない。それぞれが時代背景と共に語られるべき物語を持ち、その機構や外装に歴史が刻まれている。ギャラリーの一角に置かれた真鍮レンズの棚はまさに圧巻で、19世紀の光学美学そのものが結晶しているようだ。
店主セバスチャンとその右腕アドリアン・オフォールは、来訪者のどんな質問にも丁寧に応じてくれる。アドリアンは現在日本語も猛勉強中で、日本の来店者にとっては特に心強い存在となるだろう。
写真という文化の時間軸に触れる場所

ショーケースのひとつには、日本人にとってもなじみ深い機械式一眼レフの名機たちが並ぶ。Nikon F、Nikomat、そして往年のNikkorレンズ群。それぞれに使い込まれた痕跡がありながらも、どのカメラも今すぐにでもシャッターを切れそうな佇まいを見せている。
パリを訪れるなら、ルーヴルやオルセーと並んでこのアンティックフォトギャラリーを訪れる価値は十分にある。ここには、“写真機を見る”という体験ではなく、“写真という文化の時間軸に触れる”という、より深い体験が待っている。
そして気に入ったなら、それを手に入れることができる──それが、この店の真にユニークな点である。
11 et 16 rue de Vaugirard 75006 PARIS













































































































































































































































































































































































































































