写真/文: 櫻井朋成
Photo/text: Tomonari Sakurai

寝台車、食堂車。在来線とは違い旅情情緒のあるこの言葉が消えて久しい。新幹線では車内販売まで過去の遺産となっている。電車の移動もそのスピードで便利になったものの、移動そのものを楽しむというのが薄れてしまったのは否めない。
かつてヨーロッパとアラブを結んだ鉄道、オリエント急行があった。飛行機が発達する前、西欧と中近東の入り口イスタンブールを「快速」で結ぶ目的で生まれたオリエント急行。とはいえ、それでも数日を要する長旅であり、快適な食事や睡眠を保証するために、当時最先端のアール・デコ様式による豪華な内装を誇った。映画にも幾度となく登場し、鉄道ファンのみならず広く知られている豪華列車オリエント急行。それは蘇り、今もなお贅沢な時間の旅を体験できる。
そんなオリエント急行に触れる機会が9月20日と21日に訪れた。この二日間は「ヨーロッパ文化遺産の日(Journées Européennes du Patrimoine)」であり、フランス全土で数多くのイベントが繰り広げられる中の一つとして、パリ・オステルリッツ駅にオリエント急行の車両が到着し、一般公開された。
豪華な編成で人気を博したオリエント急行

オリエント急行は1883年、ベルギーの実業家ジョルジュ・ナジェルマッカースが創設した「ワゴン=リ社」によってパリ~コンスタンティノープル(現イスタンブール)間で開業した。以来、ヨーロッパ大陸を横断する夢の列車として発展を続け、イギリスのドーヴァーからイスタンブールへ至る数千キロを、食堂車・寝台車を備えた豪華な編成で結んだ。やがて「フルール・ド・リス」「シンプロン」「アリアンツ」など複数のバリエーションが派生し、政治家や王侯貴族、映画スターまでが愛用する存在となった。さらに1988年には、日本で「オリエント急行’88」と呼ばれる特別運行が実現。パリを出発した車両がシベリア鉄道を経て東京に到着し、大きな話題を呼んだ。
当時の装飾も蘇ったオリジナルの6両


今回展示されたのは1920年代に製造されたオリジナルの6両。徹底したレストアによって当時の装飾が甦り、さらに現代の事情に合わせて冷房や安全装置も導入されている。レストラン車、サロン車、バー車と多彩な編成で、ルネ・ラリックのガラスパネル、象嵌細工の壁面、真鍮の照明器具、ベルベットのシートが来場者を迎えた。中でも1929年製の「Flèche d’Or(黄金の矢)」車両は、かつてグレース・ケリーがモンテカルロへ向かった際に使用したものとして知られている。また、サロン・バー車は映画『オリエント急行殺人事件』にも登場しており、多くの来場者がその歴史的な雰囲気を写真に収めていた。
現在も運行されるオリエント急行

オリエント急行は現在でも運行されている。
ひとつはベルモンド社が運営する Venice Simplon-Orient-Express(VSOE)。復元された1920〜30年代の車両を用い、パリ〜ヴェネツィアを中心に、ウィーンやブダペスト、プラハなどへも特別ルートを走らせている。
もうひとつは、Accor(アコー)グループによる「Orient Express」ブランドの再生プロジェクトである。2017年にフランス国鉄からブランドの使用権を取得し、鉄道のみならずホテルや高級ヨットへと展開。列車に関しては1920〜30年代製のオリジナル車両17両を修復し、2026年以降にはパリ〜イスタンブール間を結ぶ「オリジナル・オリエント急行」の復活運行を計画している。
さらに2025年にはイタリア国内で「Orient Express La Dolce Vita」がデビュー予定で、ローマ、ヴェネツィア、ポルトフィーノなどをめぐる新しい豪華列車として注目を集めている。今回パリ・オステルリッツ駅で展示された車両は、このAccorによる復活プロジェクトの一環であり、未来に向けて再び「旅の贅沢」を現代に甦らせる試みでもある。
快適で贅沢な鉄道車両を意味する「Pullman」

ここでしばしば使われる「プルマン(Pullman)」という言葉にも触れておきたい。これは19世紀アメリカの鉄道王ジョージ・プルマンが手がけた豪華寝台車に由来し、のちに「快適で贅沢な鉄道車両」を意味する代名詞となった。ヨーロッパでもこの名は広まり、オリエント急行のサロン車や食堂車に冠されている。また今日では「Pullman」はアコーグループ傘下の高級ホテルブランド名としても世界に展開しており、豪華列車の精神を引き継いだ言葉として生き続けている。
かつて「動く宮殿」と呼ばれたオリエント急行。その歴史は鉄道という枠を超え、ヨーロッパ文化の象徴として語り継がれてきた。今回の公開展示は、過去の遺産ではなく、未来へ向けて進化を続けるブランドの現在形を示すものだった。スピードと効率を追い求める時代にあって、移動そのものを楽しむ贅沢―その原点に触れる貴重なひとときであった。













































































































































































































































































































































































































































