オペラ座150年——金と光が紡ぐ都市の記憶

写真/文: 櫻井朋成
Photo/text: Tomonari Sakurai

パレ・ガルニエ(Opéra Garnier)は、ヨーロッパの「ラグジュアリー」を建築の言語に翻訳した希少な成功例だ。大階段に一歩足を踏み入れると、磨き上げられた大理石、鍍金(めっき)の輝き、絹のように流れるカーテンが、観客を“装うべき舞台”へと導く。ここでは観る者もまた演者。「世俗の大聖堂(Cathédrale mondaine)」という異名は、まさに的を射ている。

第二帝政の夢—都市の劇場として生まれる


誕生は第二帝政。ナポレオン三世の大改造が進むパリで、若き建築家シャルル・ガルニエが競技設計を制し、1875年に開場した。施工の途上、主立面を木製スクリーンが覆い、周囲は解体と造成が同時進行―写真家デュランデルが残した工事記録は、この宮殿が都市の再編と歩調を合わせて生まれたことを雄弁に物語る。ガルニエは「劇場のための建築」ではなく、建築そのものが演出となる空間を構想した。

社交という祝祭—電灯のきらめきと絵画の視線

19世紀末、ガルニエ宮は「社交のステージ」として完成形を見せる。アンリ・ジェルヴェックス《オペラの舞踏会》(1885)が切り取るのは、電灯の白熱光に浮かぶバルコンの群像。ルイ・ベロやベローが描く大階段の華やぎは、観客席の外側に広がるもう一つの“演目”を可視化した。黄金の大フォワイエ、繊細なシャンデリア、手すりの曲線―素材の贅が礼式のリズムを刻み、ラグジュアリーが所作へと昇華する。

アヴァンギャルドの官能—バレエ・リュスの到来

20世紀初頭、ディアギレフのバレエ・リュスがもたらしたのは、色彩と官能の革命だ。1910年初演の『シェエラザード』は、イダ・ルビンシテインとニジンスキーを中心に、異国趣味の装置と絢爛衣裳で観客を酔わせる。宮殿は音の器からダンスの神殿へと性格を変え始め、やがて20世紀後半にはその役割が決定づけられていく。

聖と俗の交差—ワーグナー、そして“怪人”


1914年、バイロイト独占が解かれた《パルジファル》がガルニエ宮で初上演される。聖杯という象徴と、中央式教会を想起させる大階段の構成は、空間に宗教的な厳粛を帯びさせた。他方で、ガストン・ルルーの小説『オペラ座の怪人』(1910)と、ユニバーサル映画(1925)が醸成した“地下迷宮の神話”は、宮殿に物語としての陰影を与える。芸術と都市伝説―ガルニエはその両方を着こなしてきた。

技術が織り上げる時間—“声の壺”とスクリーンのパリ


1907年と1912年、仏グラモフォン社は蓄音機と24枚のディスクを鉛の壺に封じ、地下に埋設した。百年後へ声を届けるタイムカプセルは、ラグジュアリーを「時を保存する技」として提示する。映像もまたこの宮殿を愛した。メリエス(1905)は背景幕にガルニエを描き、1937年『白鳥の死』は舞台裏のフライギャラリーを撮る。スクリーンの上で、ガルニエはもう一人の主演となってきた。

暗い幕と解放—占領下の夜と1944年の広場


占領期(1940–41)、宮殿のファサードはナチの旗で覆われ、マンハイム歌劇場による《ワルキューレ》が占領軍向けの特別夜会として上演される。文化と宣伝が結びつく時代、建築は無垢ではいられない。やがて1944年8月、解放の日にオペラ広場で押収された軍旗が人々の手を渡り、都市の記憶は別の意味でこの場所に刻まれた。

再生の美学—カラス、古典回帰、そしてヌレエフ


戦後、パリ・オペラは古典レパートリーの再生へ舵を切る。アリシア・アロンソ版『眠れる森の美女』(1974)の衣裳が示すのは、刺繍とビーズが奏でる手仕事の復権。マリア・カラスの《ノルマ》は、声と衣裳と身振りが結ぶ“総合芸術”の極北だ。さらにルドルフ・ヌレエフがもたらしたのは、舞台美術と振付の総合設計。『ラ・バヤデール』(1992)の精緻な装置マケットは、光線と動線まで計算されたオートクチュールのような舞台そのものである。1993年、ヌレエフの棺が大階段に置かれたとき、ここが“聖なる身廊”であることをパリは再確認した。

いま、150年の現在地—伝統を纏い、未来へ遊ぶ

本展は、図面・絵画・衣裳・写真・映画・録音の断片をラグジュアリーの体系として再編する。天井にはルヌヴーの祝祭、客席を見上げればシャガールの色彩が舞う。ショップで手に取る記念メダルやコレクターズコインは、宮殿の意匠を掌に載せる小さな建築だ。さらに、来場者自身が“怪人”となって館内を巡るインタラクティブは、伝統に遊びの知性を添える。

結び——ラグジュアリーとは、技と時間の編集である


パレ・ガルニエの150年は、素材の格(大理石、金箔、ブロンズ)と技の密度(刺繍、鋳造、舞台機構)、そして時間の編集(記録・保存・再演)が重なり合って生まれた物語だ。ここでは、光が人を装い、音が空間を彫刻し、伝説が都市の記憶を温める。オペラ座の贅とは、派手さの別名ではない。
上質なものが、正しい場所とタイミングで、正しい手に託され続けること。
150年を経てなお、その約束はこの宮殿で美しく更新されている。

展覧会名
「Le Palais Garnier : 150 ans d’un théâtre mythique(ガルニエ宮—神話的劇場の150年)」。BnFとパリ・オペラ座による150周年記念展。
会期
2025年10月15日(水)— 2026年2月15日(日)。
会場
BnF|Bibliothèque-musée de l’Opéra(パリ・オペラ座 図書館=博物館)
パレ・ガルニエ内/入口:スクライブ通り×オーベール通りの角(9区)。
開館時間
毎日10:00–17:00(特別休館日を除く)。
Le Palais Garnier : 150 ans d’un théâtre mythique
Exposition : 150 ans du Palais Garnier – Expositions – Visites
取材協力
Opéra national de Paris(パリ・オペラ座)/BnF(Bibliothèque nationale de France|Bibliothèque-musée de l’Opéra)。

gallery

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1937年の『白鳥の死』はガルニエ宮の舞台裏を主要舞台に据え、劇場の“見えない部分”を映像化(撮影:Walter Limot)。合わせて、メリエス『パリ=モンテカルロ・レイド』(1905)がオペラ広場を背景に都市のざわめきを描く。

櫻井朋成

写真家。フォトライター

フランス在住。フォトグラビュール作品を手がける写真作家。
一方で、ヨーロッパ各地での撮影取材を通じて、日本のメディアにも寄稿している。

フランス在住。フォトグラビュール作品を手がける写真作家。
一方で、ヨーロッパ各地での撮影取材を通じて、日本のメディアにも寄稿している。

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