ラグジュアリー・ステイショナリー MAISON AGRY(メゾン・アグリ)

ヨーロッパで見かける紋章。元は中世の時代に騎士が闘うときに相手が分かるように個人のカラーを鎧や馬に付けたのが始まり。その後紋章が個人を表すシンボルとなり複雑なデザインへと発展していく 。紋章を持てるのは爵位がある貴族や王家のみ。好き勝手に紋章を持つことは出来ない。厳格なルールを保つためにそれを取り仕切る紋章院が設けられた。紋章院は勝手に作った紋章や、勝手に人の紋章を使ったりしたとき、例えば王室御用達でもないのにお店に王家の紋章を取り付けたりした場合などその建物を破壊する権力を持つほど強い力を持った。時代は変わりそんな紋章を厳格にしているのはイギリスくらいになってしまった。

紋章の伝統を200年間守り抜いてきた「メゾン・アグリ」

紋章は個人を証明するものであり象徴でもある。映画で見ることもあるだろう、例えば手紙。重要な手紙の封を綴じるには蝋を垂らし指輪を押しつけて紋章を付ける。この紋章の入った指輪をシュヴァリエア(chevaliere)と呼ぶ。フランス語で騎士のことをシュヴァリエと言うところから来ているのだ。実はこれは過去のことではない。紋章制度が無くなったここフランスでもそれは人の心の中に残っているのだ。家紋と違って本来紋章は個人の者だが、祖先が貴族だったことなどから、公式な効力などは無いがそれを家紋として受け継いでいる家族も実は多い。あるいはビジネスに成功して会社ではなく個人のステータス として新しく紋章を持ってみたいという人も世界を見るとかなりいるようだ。

そういった人たちが訪れるブティックがパリの中心、ヴァンドーム 広場にある。ここに店を構えたのが1825年。その頃のフランスは、フランス革命でナポレオンが帝政時代を築きそして再び復古王政の時代に入ったところ。紋章は個人のステータス だったころだ。このころは紋章の入った指輪や、レターヘッドにも版を作るため腕の良い彫り師が必要だった。もちろんその前に今で言うデザイナーが必要なのだ。紋章師(héraldiste)とは、厳格な紋章制度を理解したデザイナーだ。紋章は見た目だけでなく、それぞれに意味合いがあり、その個人を表すのに最適な絵柄をルールにのっとって選ばなければならない 。

ブティックが並ぶパッサージュの床には、AGRYのロゴが埋められている。
ブティックの壁に並べられた紋章の型。これは、ボタンの型なのだ。そのボタンは紋章の主が使うのではなく、そのうちに仕える者たちの服に使われていたのだ。
子どもが生まれると銀製のカップなどを送る習慣があり、そこにイニシャルなどを彫ることも出来る。後ろに見える写真はローマ法王と、法王に仕える紋章師とコラボした記念の写真。

紋章はカラーが普通だが、指輪にしたり、印刷物にしたときに単色になることも多々ある。その時にそれぞれの色をモノクロにしたときの表し方なども厳格に決められている。闇雲にモノクロでグレーにすれば良いのではない。金や銀の違い。赤や青の違いなど。モノトーンで表したときの色の表現を見れば何色なのか分かる決まり事もあるのだ。紋章に詳しいデザイナーと一流の彫り師が手を組んではじめたのがこのメゾン・アグリだ 。ヴァンドーム広場という場所柄、パリを訪れる多くの有力者達が滞在するホテルに近く、たちまちそのビジネスは成功したのだ。以来、200年間その伝統を家族経営で守り抜いているのである。メゾン・アグリでは職人であることが大事であり、現在で9代目まで続く家族全員が美術大学で彫刻などを学んでいる。8代目にあたるカトリーヌ・アクバート女史は腕の良い彫刻師であり紋章の知識に長けている。紋章を持ってみたいという新規の顧客はまず彼女とデザインを決めていくことになる。紋章ができあがればあとはそれを指輪にするなり、レターヘッドにするなり、あるいは名刺を作るなりと決めていくのだ。ラグジュアリー・ステイショナリー。これがメゾン・アグリだ。

中央:8代目カトリーヌ・アクバート(Catherine Hacquebart)、右:9代目ガブリエル・アクバート(Gabriel Hacquebart)、左:アトリエで物作りを担当するマチュー・アクバート(Matthieu Hacquebart)。家族で支えたアグリの歴史を今も受け継いでいる。
※この写真のみMAISON AGRY提供

伝統的な手法と手彫りを今なお引き継ぐアトリエ

ヴァンドームにあるブティックを訪れると、何ともこぢんまりとしたスペースだ。室内にはこの200年で彫られた紋章の型などが棚に収まっている。しかしそこに収まっているのは、ほんの少しのコレクションでその多くの物は地下に収められている。今回特別にお邪魔させていただいたが、地下の部屋はなんとも明るく広い。過去に32000点以上の紋章を扱ってきたその書類や型などが収まっている。しかしそれは全てではない。ヴァンドーム広場はセーヌ川のすぐそばにあり、1910年のセーヌ川の大洪水でこの地下室は被害を受けて100年の歴史は失われてしまったのだという。それでもなお、ブラジルから来た人は家から出てきた紋章の指輪をメゾン・アグリに持ち込んだ。それが、100年以上前にここで作られたことが残っていた資料で判明した。伝えられていなかった祖先の歴史に触れることが出来たというようなこともあるそうだ。

名刺やレターヘッドなどは現在一般的な印刷方法ではなく、伝統的な銅版による版画のように版を作る。もちろん手彫りでだ。その版を使って一つ一つ刷られていく。名刺1つでもその風格が違う。それを行っている工房は、ブティックから少し離れたところ。オペラ界隈、日本食レストランが連なる日本人にもなじみ深いところにあった。

1910年のセーヌ川の大洪水でそれ以前の物の多くを失ったが、それ以降の型とそのケースは残った。
著名な図書館の蔵書印はAGRYによるモノがある。銅版を手彫りした原版を使って1枚1枚手で刷っている。そのやり方も200年前から変わらない。
箔押しされたカード。その後ろの道具はエンボスを付ける物。そのエンボスの型も手彫りで作られる。鹿の骨は、顧客の多くが狩猟をするということの証だそうだ。今のゴルフのように狩猟は上流階級の嗜みだからだ。

訪れた日、名刺と指輪が彫られていた。アトリエを案内してくれた若き彫り師テオ(Theo Brajeul)。紋章や中世のロゴやシンボルに昔から興味がありそれを彫るということに出会ってからは、著名な彫り師に弟子入りして腕を磨いてきたという。指輪に彫られる紋章は非常に細かく繊細な仕事だ。指輪のようなきらびやかな金属に彫っているだけならばちょっとした粗は輝きで見過ごされるかも知れない。しかしここで作られる指輪は蝋に押しつける印璽となる。その蝋に残った紋章が正確でしっかりとしたフォルムを残していなければならない。テオはそれを彫るのが楽しくて仕方が無い。「試しに彫ってみてよ。一度彫ったらやみつきになるから」と本当に彫刻が楽しくて仕方がないと言った感じだ。

紋章のデザイン。掘り師テオのスケッチ帳から。拡大鏡を覗きながら彫って行く。

フランス革命で一度は廃止された貴族制度。ましてや21世紀に入って紋章など普段見かけない物となった。しかしそれは上流社会の中では生き続けていて、またそれを支えるようなメゾン・アグリの200年という歴史が証明している。話を伺うと、意外と日本からのオーダーも多いと言う。

かつてシェイクスピアは名声を手に入れたが、階級が伴わないため紋章を作れなかった。そこで爵位のある家柄の女性と結婚して紋章を手に入れた。紋章にはそういった力があるのだ。興味のある方は連絡を取ってみてはいかがだろうか。なおこのブティックは200年の歴史を前に移転することが決まっている。この地域はショッピングのエリアにする為、有名ブランドを入れる計画があるとのことでの移転だそうだ。移転先は現在交渉中とのこと。その間オーダーや相談は受け付けるそうなので、ご安心を。

MAISON AGRY
(フランス語、英語、スペイン語)

<文、写真・櫻井朋成>

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