Calligrane 紙と静寂のあいだに宿るもの

写真/文: 櫻井朋成
Photo/text: Tomonari Sakurai

マレ地区の入り口、まだ人通りもまばらな静かな通り沿い。紙の店なのか、ギャラリーなのか——はっきりとはわからない。それでもこのショーウィンドウの前では、ふと足を止めてしまう人がいる。不思議と視線を引きつける魅力がある。

パリ4区、マレ地区——セーヌ川に浮かぶサン・ルイ島からルイ=フィリップ橋を渡ると、そこにはパリらしい静けさが今も残る通りがある。観光客で賑わうエリアのすぐそばとは思えない、落ち着いた気配が流れている。ギャラリーや額装屋、カリグラフィーの専門店、紙を扱う店が軒を連ね、通りそのものが一つの美しい本のように感じられる場所。
Atelier Calligrane は、そんな通りの一角に静かに扉を構えている。

異文化から届いた和紙に魅了される

店内に入ると、紙に魅せられた作家たちによる作品や工芸品が整然と並ぶ。それぞれの紙が持つ質感や色、かたちの違いが静かに語りかけるように配置されており、紙という素材への視線の深さと、オーナーの確かな審美眼が感じられる。

丁寧に手漉きされた紙が静かに積み重ねられている。揃いすぎない縁(耳)と、深みのある色合いが、素材としての紙にあらためて目を向けさせてくれる。

紙の国、日本では、和紙はただ「書くため」の道具ではなかった。障子や照明、包装、装飾、そして時に建築的な素材として、暮らしの中に深く根付き、植物の樹皮から生まれる紙は、時代と共に繊細な美意識を育んできた。
一方フランスでは、紙の製法が伝来したのは14世紀のこと。中東からもたらされた技術は、使い古した綿布を砕いて繊維を取り出し、漉き直すというもので、植物の皮から作られる和紙とは全く異なる系譜を持つ。だからこそ、フランスに生まれ育ったエレーヌ・バルテとその娘ヴァネッサが和紙に魅了されたのは、ある種の必然でもあったのだろう。異文化から届いた紙たちは、彼女たちにとって新鮮で、そして限りない可能性に満ちた素材だった。

“紙”という身近な存在が作品の主役となる

くしゃくしゃにされた紙の質感をそのまま生かした照明。素材はあくまで紙だが、灯りを通すことでその繊維や陰影までもが立ち上がり、空間に柔らかな存在感を与えている。

径の異なる丸い紙を一枚ずつ丁寧に重ねて生まれた造形。断面のわずかなずれが色彩の流れをつくり、彫刻でありながらグラフィックのような視覚的リズムを感じさせる。

1987年、書とカリグラフィーを愛するエレーヌ・バルテによって創設された Atelier Calligrane は、紙の表情と、それに寄り添う手の文化を大切にしながら歩んできた。現在では、娘のヴァネッサ・バルテがこの場を引き継ぎ、さらなる世界との対話を深めている。
店内に並ぶのは、日本の手漉き和紙、ネパールやメキシコの天然素材紙、そしてアーティストや職人とのコラボレーションで生まれた一点もののノートや小冊子。このアトリエでは、私たちにとって身近な存在である“紙”が、それぞれ一つひとつ異なる表情を持つ「一品もの」として丁寧に扱われている。
色、厚み、繊維の入り方、漉き跡。どれ一つとして同じものはなく、手に取るたびに紙そのものとの関係が結び直されるような感覚に包まれる。
紙は、書かれることを待つ媒体であると同時に、時に作品の主役となり、光や空気の中で呼吸し、語りかけてくる存在なのだ。

「紙が語る」場であることを静かに提示するCalligrane

ウィンドウには週替わりで作品が展示される。この日は、紙を焦がす技法で知られるアーティスト Mme S による作品。繊細さと力強さが同居するその世界観が、道行く人の足をふと止めさせる。

向かい合う女性の身体を絡め取るように描かれた蛸の足。その吸盤の部分には紙が焦がされ、穴が穿たれている。描かれた線と焼かれた痕——紙の持つ柔らかさと脆さが同時に立ち上がる。

現在、Atelier Calligraneではアーティスト Mme S. の作品が展示されている。女性の裸体をモチーフに、紙を焦がして描かれた作品群は、炎によって刻まれる痕跡がそのまま作品の輪郭となっている。
焦げ目がついた紙の肌は、傷跡のように脆く、しかし確かな存在感を放ち、光の当たり方や見る角度によってその表情を変える。
熱によって紙の繊維が変化し、反り、沈み、立体感を帯びていく過程そのものが、まるで記憶の層を削り出すようでもある。焦げることで紙はまた新たな表情を見せる——それは描かれたイメージを超えた、紙そのものの身体性が立ち上がってくる瞬間だ。
こうした作品を通してもまた、Calligraneは「紙が語る」場であることを静かに提示している。

新たな注目を集める”紙”の新しい物語

棚の奥に掛けられた作品は、まるで印象派の点描のような繊細な色の集積で構成されている。アトリエの主のご主人によるもので、静かな場所に確かな個性を添えている。

長さ約3センチ、幅わずか2ミリほどの細長い紙片を一本ずつ束ね、面を構成していくという気の遠くなるような技法による作品。点描にも似た視覚効果は、すべて紙という素材の密度と反復によって生まれている。

私たちの暮らしが急速にデジタル化し、「ペーパーレス」が効率の象徴とされる今、紙という存在はかえって新たな注目を集めている。
情報を持たず、余白を抱えるもの。
手に触れられ、重みを持つもの。
それこそが、いま再び求められている感覚かもしれない。
Atelier Calligrane は、そうした紙の「物質としての詩性」に光を当て、私たちと紙との関係を静かに問い直す場所だ。
ここには、紙を通じて世界とつながり、過去と未来を編み直すための時間が流れている。
紙の可能性は、まだ終わっていない。むしろ、今こそが新しい物語の始まりなのだ。

Atelier Calligrane を母親から引き継いだヴァネッサさん。紙の文化が日常に息づく日本を深く敬愛しており、「来年のゴールデンウィークにまた日本に行く予定なの。もう楽しみで仕方がないのよ」と、嬉しそうに語ってくれた。

Calligrane : https://calligrane.fr
6 rue du pont Louis Philippe
75004 Paris

PHOTO GALLERY

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フランスの作家による彩色紙。色の重なりと質感の多様さは、光に透かすことでいっそう際立ち、視るたびに異なる表情を見せてくれる。

櫻井朋成

写真家。フォトライター

フランス在住。フォトグラビュール作品を手がける写真作家。
一方で、ヨーロッパ各地での撮影取材を通じて、日本のメディアにも寄稿している。

フランス在住。フォトグラビュール作品を手がける写真作家。
一方で、ヨーロッパ各地での撮影取材を通じて、日本のメディアにも寄稿している。

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