自転車の宝石、Alex Singer:スチールフレームの伝統と革新

周囲が次々とビルに変わる中、1935年からその佇まいを変えることなく続いている。熱烈なファンに支えられながら営業を続ける、オーダーメイド自転車の名店アレックス・サンジェ。

Alex Singer(アレックス・サンジェ)

扉に貼られたEPV(Entreprise du Patrimoine Vivant)のステッカー。これが、ここがフランス政府により「生きた遺産企業」として認定されている証だ。

Alex Singer(アレックス・サンジェ)は「自転車の宝石」とも称されるほど、その美しさと性能で愛されるブランドです。
カーボン全盛の現代ロードバイク市場においても、スチールパイプを用いた手作りの自転車を作り続けています。そのブティックがパリ郊外ルヴァロワ=ペレにオープンしたのは、1935年のことでした。

創業の背景

当時のロゴとともに、住所も今なお変わらずそのままだ。

Alex Singerは、ハンガリー出身の移民としてパリにやってきました。当時、パリに住むハンガリー人コミュニティではサイクリングが人気でしたが、高価な自転車を購入する余裕がなく、手作りで自転車を作ることが一般的でした。その中でアレックス・サンジェが作る自転車は特に丈夫で高性能だったため、評判を呼び、やがて注文が増加。これを機に自転車工房兼ブティックを開き、現在も同じ場所で営業を続けています。

フランスに根付いたシクロツーリズム文化

19世紀から、フランスでは自転車を使った旅「シクロツーリズム」が発展し、この文化がツール・ド・フランスなどの競技を生み出す土壌となりました。この文化はプロだけでなくアマチュアの間でも広まり、自転車ブランド同士が競い合う一方で、長距離サイクリングやランドネ(Randonnée)といった活動が盛んでした。
しかし、第二次世界大戦後、50年代に入ると自動車が普及し、自転車文化は衰退していきます。かつて星の数ほど存在したフランスの自転車ブランドの多くが、80年代までに姿を消しました。その中で唯一生き残ったのがアレックス・サンジェでした。

サンジェが得意とするランドナー

2019年に「パリ=ブレスト=パリ(Paris-Brest-Paris)」挑戦のために作られた専用モデル。この自転車競技は、タイムを競うレースではなく、走破すること自体を目的としたフランス独特の長距離ライドだ。パリからフランス最西端のブレストまでの往復約1200kmを、90時間以内で走破することを目指し、4年に1度開催される。この競技に必要な自転車には、耐久性と安全性が求められるだけでなく、ライダーの負担を軽減するための軽量化も重要だ。これらの要素をすべてバランスよく組み合わせて作り上げられている。

PBP仕様であることを示す刻印。この自転車の走者は、サンジェ歴が長いベテランサイクリスト、ブルノ・ネナン(Bruno Nenan)だ。

その時のゼッケン。ゼッケンの取り付け方にも、サンジェならではの美学がある。

アレックス・サンジェの象徴ともいえるのが、ランドナー(Randonneur)と呼ばれる自転車です。「ランドネ(Randonnée)」とは、フランス語でハイキングやトレッキング、巡礼などの旅を意味します。このため、ランドナーとは旅のための自転車を指します。
ランドナーは一見ロードバイクに似ていますが、泥除けやライト、太めのタイヤを装備しており、どんな道でも走破できる耐久性を持つことが特徴です。ハンドルの前にバッグを取り付けることができ、1日100km以上走ることを想定して設計されています。

継承されるサンジェの技術

先代エルネスト・スユーカの愛車のポーター。フロントに付いた大きなキャリアーで、当時はパリのあちこちで見かけることが出来たスタイル。1945年にオーダーされた自転車をベースとしていてシリアルは287番。

本来、ダウンチューブにはAlex Singerのロゴが入っていたが、そこには現在、Ernest CSUKAの名前がロゴのように描かれている。この文字は、バイクや車などにラインを手描きで入れる専門職人、ピンストライパーの手によるものだ。

大きなキャリアーや、バーエンドから前方に伸びるブレーキレバーといった特徴は、フランス車のスタイルの一つである。ハンドルに巻かれたコットンテープにはセラニックニスが塗られ、色合いやツヤがサンジェの魅力の一つとなっている。

ヘッドバッジには、エルネストのイニシャルをあしらったロゴが施されている。この自転車がサンジェにとって非常に重要な存在であることを示す証だ。数年前に再塗装された際にロゴなども合わせて変更した。

アレックス・サンジェが健康を崩した後、同じハンガリー出身のエルネスト・スユーカがブランドを引き継ぎました。エルネストは兄ローランと共に自転車を作りを続け、ブランドの技術をさらに高めました。当時、タイヤのリムやハブ、ギア、ペダル、ブレーキなど、ほとんどのパーツがフランス製で、その美しさと性能が世界的に評価されていました。
1980年代、日本でツーリング自転車が流行すると、アレックス・サンジェをはじめとするフランスの自転車が大きな影響を与えました。その後、日本のハンドメイド自転車文化にも影響を及ぼしたのです。

先代エルネストが愛用していたハンチング帽が、今もそのまま残されている。エルネストは、ここを訪れる人々といつも共にあるようだ。

現在と未来のサンジェ

自転車愛好家としても知られる俳優ロビン・ウィリアムスをはじめ、意外な著名人たちが名を連ねるサンジェの顧客リスト。現在もアメリカからのオーダーが圧倒的に多いという。伝統を守りながら革新を続けるオリヴィエとワルターの親子。彼らの手で、美しく、走るための自転車がこれからも受け継がれていく。

現在、サンジェのアトリエはエルネストの息子オリビエが引き継ぎ、その息子ワルターとともに運営されています。ここで作られる自転車はすべてオーダーメイド。顧客の体型や用途に合わせ、フレームの角度や寸法を細かく調整します。色の選択も自由で、特に「トゥークロメ」と呼ばれるオールメッキ仕上げは、美しさと耐久性を兼ね備えた最高の選択肢です。
ランドナー以外にも、スポルティフ(レース用自転車)やキャンピングバイク、ポーター(荷物運搬用)、タンデム(二人乗り)など、多様なスタイルの自転車を手がけています。

耐久性と多機能性を試す目的で開催された自転車競技Poly de Chanteloupは、フランスのサイクリング史における伝説的なイベントです。この競技には、1954年にエルネストとその妻レオンヌがこのタンデムで出場しました。サンジェの自転車の中でも、象徴的な一台とされています。

サンジェの自転車には共通して、オーナーの名前と住所がハンドルステーのトップに打刻されている。この自転車には「スユーカ夫妻」と刻まれている。

後席の力は左側から伝達され、その力が前席右側のチェーンリングを経由して後輪へ伝えられる。センターチューブにはロゴが入っており、その下には空気入れ用のポンプが装着されている。

戦前から高い信頼性を誇る、フランス製Nivexのディレイラーが装備されている。

サンジェ製のラージハブ。このハブを使用することでスポークを短くでき、より強靭で耐久性の高いホイールを実現することができる。

当時の定番であるフランス製TAのチェーンリング。どんな道でも走破できるように、フロントは3段仕様になっている。各ギアを固定するナットとビスは、整備性を考慮して反転させて取り付けられているのがサンジェの特徴だ。フロントディレイラーもサンジェ製である。

ブレーキもサンジェ製のものが装備されている。サンジェのパーツはどれも機能的でありながら、美しさを兼ね備えている。

リアに取り付けられるダイナモ。それを操作する起倒レバーはシートステーに装着されている。また、ダイナモと干渉しないよう、美しく曲げられた泥よけが取り付けられている。

マッドガードのステーには、予備のスポークが取り付けられている。

なぜスチールなのか?

勘違いしてはいけないのは、サンジェが決してヴィンテージバイクを作るブランドではないということだ。その証拠に、オリヴィエが所有する一台は最新の装備で固められている。彼らはスチールフレームこそが最高であり、最適であると信じて疑わない。電動シフトなどの最新技術を搭載したオーダーにも対応している。

オリヴィエの代になってから、彼の名前が刻まれたロゴへと変更された。

カーボンが主流の現代においても、スチールが選ばれる理由は明確です。
•柔軟性: 適度なしなりがあり、長距離でも疲れにくい。
•修復可能: フレームが曲がった場合でも修正が可能で、部分的な交換ができる。
•耐久性: 正しい手入れをすれば、50年以上使い続けることができ、親から子、孫へと受け継がれる。サイズを変更して息子に受け継いでもらうということが実際におこなわれています。

サンジェの新たな挑戦

長い歴史を持つサンジェ。古くからのオーナーも高齢化が進む中、電動アシストは非常にありがたい存在だ。もちろん、気軽に街中を走るためのモデルとして、サンジェのテイストを反映して作られたCAVALEも一つの選択肢として注目されている。

フランス製の電動アシスト自転車CAVALEは、独自のアシストシステムを備えている。そのロゴマークには、フランスを象徴するトリコロールがあしらわれているのが特徴だ。

前後のランプは砲弾型で美しい。

バッテリーの操作はオン・オフだけというシンプルさ。常にアシストを使用して走ることもできるが、サイクリストにとっては、辛いときだけアシストを使うといった選択肢もある。フランスの道交法に基づき、25km/hを超えるとアシストが自動的にカットされる仕様になっている。なお、使用する国の道交法に合わせた調整ももちろん可能だ。

サンジェは伝統を守りながらも、未来への挑戦を続けています。同じフランスの電動アシスト自転車ブランドCAVALEを買収し、新しい技術を取り入れつつ、その独自性を守り続けています。
「世界に一台だけの自転車」を求めて、パリ郊外のアトリエを訪れてみてはいかがでしょうか?

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自然光が差し込む明るいアトリエ。天井には所狭しと自転車やフレーム、ホイールなどが吊るされている。それらはすべてサンジェの歴史に深く関わってきた貴重なものばかりだ。

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