パリ最後のパイプ屋で考える煙の哲学

写真/文: 櫻井朋成
Photo/text: Tomonari Sakurai


愛煙家にはどんどん肩身の狭くなる昨今。そんな中で、ゆっくりと煙をくゆらせて自分の時間を楽しむパイプは、ただの嗜好品ではない。吸う楽しみに加えて、パイプそのものの造形や質感、アクセサリーとの組み合わせまでもが楽しみとなる奥深い世界だ。
今回は、そんなパイプ文化を専門に扱い、時代の変化のなかでも静かに生き続けているパリの老舗ブティックを訪ねた。

La Pipe du Nord ──


北駅にほど近い場所に、煙と時間が交差する小さな店がある。創業は1867年。当時の所在地はGare du Nord(北駅)前。旅行者や駅員が行き交う活気ある場所に、一人のオーストリア人職人Monsieur Ziglerが海泡石を扱うパイプ工房を構えたのが始まりだ。ウィーンから渡ってきた数多くの工芸職人の一人だった彼は、ここパリで“煙の芸術”を広めた。
1930年には現在のサン・ラザール駅界隈に移転。それ以降も、静かにパリの喫煙文化を支え続けてきた。
2016年、店の新たな章を開いたのが現オーナーのMarie-Aurélie Favre(マリー=オレリー・ファーヴル)。前オーナーであり、創業家最後の当主とともに働いた経験を持つ彼女は、長年の愛煙家でもある。父と夫もパイプを嗜み、彼女自身もパイプが“衝動的な喫煙”を穏やかにしてくれる存在だと語る。
「ここをただの販売店ではなく、修理・製作・対話の場として“すべてができる場所”にしたかったの。」
客層は実に多彩だ。10代から100歳近い高齢者まで、男女問わず多くの人がここに集まる。葉巻からパイプへ転向する人も多く、その背景には希少性や喫煙体験の深まりがある。
「共通点があるとしたら、誰もが“個性”を持っていることね。パイプって“考える”道具なの。自分の時間を持つための。」

一点物の煙具、素材と技術の世界


ここで扱われるパイプは、すべてが職人による一点物。フランスの名工Pierre Morel(MOF=フランス最優秀職人章受章)をはじめとする新世代の“pipier”たちの手によって作られる。伝統的には地中海沿岸の樹齢数百年のブリヤール(ヒース)が用いられるが、質の良い素材が減少する中、オリーブやレモンウッド、野生チェリーなど、さまざまな代替材が試みられている。

他にも、鹿の角を使った狩猟用パイプ、ひょうたん製のカラバッシュ、フランス・ブルターニュの陶器Quimperのパイプなど、地域色と創造性が共存している。中にはポーセリンの馬の頭を模した奇抜なものもあり、喫煙具がアートにもなりうることを物語っている。

煙に託す個性と哲学

1950〜60年代にはレザーで包んだエレガントなパイプが流行し、現代では細身で彩色された“女性的”なモデルも人気を集めている。カーブした“courbée”タイプは口にくわえやすく、高齢の愛好家に特に好まれる。
香りにも地域性がある。北ヨーロッパではアロマティックなタバコが好まれ、ドイツではイースター限定で卵やチョコレートの香りのタバコも登場する。一方、フランス軍では無香料で力強い「スキャフェルラティ」が用いられ、兵士たちは制服に小さなブロックを忍ばせていた。

修理も“儀式”の一部


Marie-Aurélieは、パイプの修理・洗浄・吸い口の交換も行う。「壊れたら終わり」ではなく、「壊れても直せる」のがパイプの世界だ。たとえば、1989年製のDunhillや、1960年代の“黄金期”に製造された分解式モデルの修復もこなす。
彼女の店の奥には、喫煙者のためのサロンがある。かつて小さなアパートだった空間を改装し、静かに煙と向き合う場として開放している。そこでは、客が火を灯しながら語らい、時に無言で煙の揺らぎを見つめる。
「煙って、ただ吸うものじゃないのよ。考えたり、癒されたり、時には祈るみたいなもの。」
彼女が最後に見せてくれたのは、“バヴォワール(bavoir)”と呼ばれる、パイプ職人の仲間入りを果たすときに授与される前掛けだった。パイプを愛する者たちの誇りが、そこに静かに宿っていた。

A la Pipe du Nord
https://alapipedunord.com/

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店の入口前の通りに残るパイプの跡。道路工事の際、アスファルトが固まる前に実際のパイプを押し付けて刻んだものだという。老舗らしい遊び心が今も足元に残されている。

櫻井朋成

写真家。フォトライター

フランス在住。フォトグラビュール作品を手がける写真作家。
一方で、ヨーロッパ各地での撮影取材を通じて、日本のメディアにも寄稿している。

フランス在住。フォトグラビュール作品を手がける写真作家。
一方で、ヨーロッパ各地での撮影取材を通じて、日本のメディアにも寄稿している。

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