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「写本芸術の頂点 ベリー公の時祷書とその時代」 シャンティイ城

17世紀から19世紀にかけて建てられたシャンティイ城は、現在コンデ美術館として多くの写本や絵画を収蔵する文化施設となっている。

現在はこのブログのようにデジタルで読むことが多くなった。もちろんいまも残っているが本や雑誌など印刷物は当然のように身の回りにある。この印刷というのは歴史をひもとくと15世紀にグーテンベルグによる活版印刷の発明によるところが大きい。それ以降活版印刷は20世紀の半ばくらいまで広く使われていたわけだ。
その前の本というと一冊一冊を人が書いていた。いわゆる写本だ。今でこそ雑誌や本は読みたい人が手に入れて好きなときにそれを読むことが出来るが、中世では本は1冊のみ。それを文字を読める人が読み聞かせていた。本というものは誰もが手にすることの出来るモノでは無かった。
中世後期、グーテンベルクによる活版印刷の発明の以前、この写本を個人的に所有することが高貴な人々の間で流行し始める。するとただ文字だけでなく、美しい装飾や挿絵というものが広まっていく。もちろんその挿絵も一枚一枚手書き、詰まり原画そのものが本として綴じられるのだ。

膨大な美術コレクションを築いたオマール公

シャンティイの大厩舎に掲げられた「ベリー公の時祷書」展のポスター。18世紀の厩舎は現在、展示空間や馬術博物館として利用されている。

シャンティイ城敷地内にある18世紀建築「グラン・ステーブル(大厩舎)」の一角に設けられた特別展会場の入口。写本展『Les Très Riches Heures du duc de Berry』の公式ポスターが掲げられている。展覧会はこの奥の回廊状スペースで開催され、厳選された実物ページとともに中世写本文化を多角的に紹介している。

会場入口の壁に描かれた展覧会タイトル『Les Très Riches Heures du duc de Berry』。装飾写本に見られる細密なイニシャルや聖ミカエル、ドラゴン、紋章などの意匠があしらわれており、入場するその瞬間から中世写本の世界へ引き込まれるような高揚感を覚える。

その写本の中で世界で最も美しい写本の1つとされる『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』が、それを所有するパリ近郊のシャンティイ城で一般公開されている。
シャンティイ城はクリームシャンティイ(ホイップクリーム)を作った最初の地としても知られ、フランス語ではクレーム・シャンティイと呼ばれている。この美しい城は、パリから北へおよそ50km、オワーズ県の森に囲まれた場所にある。現在私たちが目にする壮麗な建物の多くは19世紀にオマール公アンリ・ドルレアンによって再建されたものだが、城としての歴史は中世にまで遡る。
このオマール公こそが、膨大な美術コレクションを築いた人物であり、死後、そのすべてをフランス学士院(Institut de France)に寄贈した。この中には西洋絵画、彫刻、家具と並んで、写本の名品も多数含まれており、それらは現在、シャンティイ城内にあるコンデ美術館で管理・展示されている。

15世紀初頭に制作された最高傑作のひとつ『ベリー公の時祷書』も


展示の冒頭エリアでは、ジャン1世・ド・ベリーの人物像や時代背景、写本に登場する城や領地の地図などを通して、中世末期のフランスを概観できる構成となっている。中央にはベリー公の墓像を模したレプリカが置かれ、訪問者を静かに写本世界の核心へと導く。

ジャン1世・ド・ベリーの墓像(gisant)胸部のクローズアップ。手には祈りの書を抱え、胸元にはラテン語の銘文が刻まれている。墓像本体はルーヴル美術館所蔵で、展示されているのはその精巧なレプリカ。中世後期の貴族の信仰と芸術的嗜好がこの一体に凝縮されている。

貴重な写本の実物が展示され「写本との新たな関係性」を感じられる

ベリー公ジャン1世の豪奢な書物「Très Riches Heures(大いなる時祷書)」。右手に見える、青地に金の百合をあしらった衣装をまとう人物こそが、その贅を尽くした芸術の依頼主──ベリー公である。王侯貴族が集い、料理が並ぶこの場面は、公の宮廷生活を象徴的に描いた「1月」の場面であり、観る者を中世の華やかな祝宴へと誘う。

そして今回の特別展『Les Très Riches Heures du duc de Berry』では、この写本の選ばれたページが、適切な環境のもとで実物として展示されている。さらにデジタル化された高精細画像によって、原本を傷めることなく詳細な鑑賞ができる工夫も凝らされており、現代における「写本との新たな関係性」が感じられる展示構成となっている。

フランス国内の複数の機関から集められた中世写本や装飾写本も数多く並ぶ

1867年、銀細工師アントワーヌ・ヴェクテが手がけた『ベリー公の時祷書』用の保管箱の装飾プレート。聖母マリアの戴冠を主題とし、四福音書記者の象徴、天使、ユニコーン、熊、白鳥など、写本の意匠を織り込んだ細密な銀細工が施されている。

ジャン・ダラス作『メリュジーヌ物語』(1493〜1494年、リヨン)。初期印刷本(インキュナブラ)で、木版による挿絵が添えられている。蛇の尾を持つ女性メリュジーヌは建築と貴族の象徴として語られ、中世から近世にかけて広く愛読された。

今回の展示では、『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』だけでなく、フランス国内の複数の機関から集められた中世写本や装飾写本が数多く並び、その多様性と奥行きを視覚的にも感じられる構成となっている。
展示会場は、シャンティイ城の本館ではなく、敷地内にある「グラン・ステーブル(Grande Écurie/大厩舎)」の一角に設けられていた。18世紀にブルボン公ルイ=アンリ・ド・ブルボンによって建てられたこの壮麗な建築は、かつて200頭以上の馬を収容していたという。現在では馬術博物館(Musée du Cheval)としても知られ、馬と人との歴史を伝える文化施設となっているが、今回はその一部が特別展のために使われ、見事に静謐な空間として再構成されている。

装飾技術や図像表現の変遷を示すパネルも数多く並ぶ

聖アウグスティヌス『神の国』のフランス語訳写本(1402年筆写、1480年彩色)。教会権威と神の法をテーマにした哲学的著作を、ジャンヌ・ド・ラヴァルの画僧が精緻なミニアチュールで彩る。装飾帯には蔵書主の紋章が描かれ、15世紀フランス貴族の知的世界を映し出している。

王に書を献上する学者、その言葉が吹き出しのように空間を横切る――14世紀の写本にすでに“セリフ”が登場していた。まるで現代の漫画の原点を見るようなこのミニアチュールは、アリストテレスの『倫理学』を題材とした哲学的対話の一場面だ。

『ベリー公の美しき時祷書(Belles Heures du duc de Berry)』より見開きの一例。1405〜1409年頃、リュムラン兄弟によって描かれた94点の全ページ挿絵は、鮮やかな色彩と緻密な物語性、繊細な光の表現によって高く評価されている。『いとも豪華なる時祷書』に先立つ、彼ら最初期の代表作。

会場内には、『時祷書』の展示に加え、他の写本との比較を通して、14〜15世紀にかけての装飾技術や図像表現の変遷を示すパネルが数多く並んでいる。リュムラン兄弟が手がけた繊細なミニアチュールはもちろん、バルトレミー・デ・エイク、ジャン・コロンブといった後の世代による補筆も詳細に紹介され、1冊の写本がいかにして時代を超えて完成に至ったか、その過程が視覚的に理解できる構成となっている。
また、「イタリアからの影響」「リュムラン兄弟の工房と時代背景」「ジャン1世・ド・ベリーの人物像」といったテーマごとに整理された展示パネルは、単に写本を美術品として見るのではなく、制作された文脈や文化的背景まで掘り下げる内容となっており、専門性と一般性のバランスに優れた内容だ。

人々を惹きつける「世界一美しい写本」

1453年にアヴィニョンで制作された《慈悲の聖母》は、アングラン・カルトンとピエール・ヴィラットの共作による祭壇画。セレスタン修道会の礼拝堂のために依頼され、聖母はマントの下に寄進者たちを庇護する姿で描かれている。金地に強い影を落とす光の表現は、《ベリー公のいとも豪華なる時祷書》の画家バルトロメウス・ダイクの影響を示し、クァルトンとの関係をうかがわせる。

壁一面に並ぶ彩飾写本に目を凝らす来場者たちの姿が印象的である。頭を深く傾け、ガラスケース越しにページの細部を読み取ろうとするその姿勢には、時を越えて語りかけてくる書物への敬意と探究心が滲む。シャンティイ城の一室が、まるで中世のスクリプトリウムのような静けさと集中に包まれていた。

広報から開館すぐが比較的空いているという情報を得てその時間を狙ったが、写本に興味のある熱心な人々も同じ時間帯を目指して訪れており、朝からすでにかなりの人が集まっている。そして彼らは、一つ一つの展示に時間をかけ、丁寧に見入っていた。撮影をしながら展示を一巡し、見落としがないかと再び入口に戻ると、なんとすでに入場を待つ列ができている。普段、実物を目にする機会のない「世界一美しい写本」を見ようと人々は集まってくるのだ。

世に一冊しかない「世界一美しい本たち」を目の当たりにできる貴重な機会

シャンティイ城の至宝──西洋絵画の饗宴
シャンティイ城を訪れる者が息を呑むのは、名高き『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』だけではない。城内に設けられたコンデ美術館は、フランス有数の古典絵画コレクションを擁しており、ルーヴル美術館に次ぐ質と量を誇る。かつてオマール公アンリ・ドルレアンが蒐集したこれらの名画群は、16世紀から19世紀にかけてのフランス、イタリア、フランドル、オランダ絵画を中心に構成されている。とりわけプッサン、ヴァン・ダイク、ラファエロ、ドラクロワらの作品群は見逃せない。展示空間は当時の邸宅の趣を残し、密度高く並ぶ金縁の額装と重厚な赤壁が、宮廷美術の輝きを再現している。中央にはフランス王侯貴族の陶器や家具も配置され、19世紀の美術館的空間とは異なる、私的なコレクションの佇まいを保っている。今回の時祷書展示においても、この壮麗な絵画の殿堂を訪れずしては、ベリー公の美意識と文化的遺産を真に理解したとは言えない。

シャンティイ城の図書室は、オマール公アンリによって整備された世界有数の私設図書館である。6万点を超える蔵書の中には、中世からルネサンス期にかけての装飾写本が数多く含まれ、とくに『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』はその白眉とされる。木製書架に並ぶ革装丁の書物と静謐な空間は、書物が芸術品であった時代の精神を今に伝えている。

もちろん『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』については、これまでにも多くの書籍が出版されてきた。しかし実物はやはり違う。羊皮紙に記された書き手の筆遣いまでが鮮明に見え、数百年前の人の手による挿絵が、今この目の前で鮮やかに息づいているのだ。
この世に一冊しかない「世界一美しい本たち」を目の当たりにできる、またとない機会。展示を堪能した後は、お城の本館に戻ってコンデ美術館の絵画コレクションに触れるのも良いだろう。いま、パリ近郊で最も訪れるべき美術館として注目を集めるシャンティイ城。その存在感が、まさにこの展覧会を通じて強く際立っていた。

「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」概要

展覧会名:
Les Très Riches Heures du duc de Berry
(ベリー公のいとも豪華なる時祷書)
会期:
2025年6月7日(土)~2025年10月5日(日)
会場:
シャンティイ城 グラン・ステーブル(Grande Écurie)内
Espace d’exposition temporaire / Temporary Exhibition Space
所在地:
Château de Chantilly
60500 Chantilly, France
主催:
ドメーヌ・ド・シャンティイ(Domaine de Chantilly)
コンデ美術館(Musée Condé)/Institut de France

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9月の葡萄収穫の場面。背景には、ロワール川を望むシュノンソー城にも劣らぬ優雅な姿で描かれたソミュール城がそびえる。未完に終わっていたこの構図に、1446年頃バルテレミー・デイクが城郭を描き、さらにジャン・コロンブが葡萄摘みの様子を描き加えた。下段には籠を手に作業する農民たちと、荷車を引く牛が描かれ、葡萄の実りの豊かさと人々の営みが生き生きと表現されている。

櫻井朋成

写真家。フォトライター

フランス在住。フォトグラビュール作品を手がける写真作家。
一方で、ヨーロッパ各地での撮影取材を通じて、日本のメディアにも寄稿している。

フランス在住。フォトグラビュール作品を手がける写真作家。
一方で、ヨーロッパ各地での撮影取材を通じて、日本のメディアにも寄稿している。

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