写真/文: 櫻井朋成
Photo/text: Tomonari Sakurai
パリ・プチパレ美術館のファサードに掲げられた展覧会バナー。エメラルドを中心に据えたジュエリーデザインの一例が象徴的に用いられており、本展のテーマである「創造の秘密」を視覚的に予告している。会期は2025年4月1日から7月20日まで。
この展覧会は、単なる装身具ではない「描かれたジュエリー」の美と機能、そしてそれを通じた創造の文化を丁寧に紐解く知的冒険である。ジュエリーに宿る光の裏に、紙に刻まれた無数の思考と手仕事があることを教えてくれる。芸術と技術の境界を超えるこの展覧会は、まさに「見る」ためではなく、「読み解く」ための展示である。
パリ・プチパレ美術館特別展「ジュエリーデザイン——創造の秘密」
展示室の入り口に掲げられたタイトルパネル。《Dessins de bijoux – Les secrets de la création(ジュエリーデザイン——創造の秘密)》展は、5,500点以上におよぶプチパレ所蔵のデザイン画を初めて本格的に紹介し、紙の上に宿る宝飾芸術の創造過程を辿る構成となっている。
パリ8区、シャンゼリゼ通りとセーヌ河岸を結ぶウィンストン・チャーチル通り沿いに位置するプチパレ美術館では、現在、珠玉のジュエリーデザインを紹介する特別展《Dessins de bijoux – Les secrets de la création(ジュエリーデザイン——創造の秘密)》が開催されている。開催期間は2025年4月1日から7月20日まで。19世紀後半から20世紀中葉にかけて制作されたジュエリーデザイン画とその背景にある創作過程をたどるこの展覧会は、まさにジュエリーが完成する「前の物語」を可視化する試みである。
光に晒されなかったデッサンが語りはじめる
1900年のパリ万博で発表された「白鳥と睡蓮」の櫛に先立ち、ユージン・グラッセが制作したデッサンの写真原稿。装飾デザインの前段階として、白鳥の羽やくちばし、脚部の構造までを精密に観察し、注釈とともに記録している。なかには筋肉の走行や羽の重なり方を示す解剖的な描写も見られ、ジュエリー制作における写実的観察眼の鋭さを物語る。
エミール・ヴェヴェールとユージン・グラッセによる「白鳥と睡蓮の櫛」のデザイン原稿。水面に浮かぶ睡蓮の葉を背景に、白鳥の首が絡み合い、象徴的なハートの形を描き出す。装飾的かつ象徴主義的なこの構図は、アール・ヌーヴォー期における自然主義と幻想性の融合を体現している。
《白鳥と睡蓮の櫛》完成前に描かれた最終彩色デッサン。白鳥の羽根や池の水面、睡蓮の花に施す色彩が緻密に描き分けられており、七宝の透明感や象牙の質感までが視覚化されている。制作指示を兼ねたこの一枚には、職人とデザイナーとの協働の最終合意点が凝縮されている。
ユージン・グラッセのデッサンに基づき、ヴェヴェール兄弟工房が制作した櫛《白鳥と睡蓮》(1900年)。白と黒の白鳥が首を交差させてハートを描き、金色の睡蓮の花が中心に咲く象徴主義的構成。象徴的な図像と緻密な七宝細工が融合し、アール・ヌーヴォーの精神を体現した逸品となっている。
プチパレのジュエリーデザイン画コレクションは、実に5,500点以上にものぼるが、その多くは1998年以降に収集・整理され、長らく一般には非公開のまま保管されてきた。今回の展覧会では、そのなかから選び抜かれた約400点が、初めて本格的に公開されている。
展示は、創作の出発点となるラフスケッチから完成予想図、技術設計図、さらには原寸大で彩色された詳細図に至るまで、ジュエリーのデザインがいかに形を成していくかを段階的に見せる構成となっている。デッサンには、ルネ・ラリックやブシュロンといった著名メゾンの作品もあれば、シャルル・ジャコーやピエール=ジョルジュ・ドゥレズムといった個人作家の膨大な資料群も含まれる。
デッサンは「機能する絵画」である
《波間の女性をあしらった櫛》デザイン画(ユージェーヌ・グラッセ、1900年頃)。うねるような金色の波の中に現れる裸婦像は、アール・ヌーヴォー特有の象徴主義的表現と装飾性が融合したモチーフであり、グラッセの幻想的なデザイン言語を典型的に示している。本作は、グラッセが構想した3段階のプロセスのうち、最終段階に近い完成案とみられ、素材としては金、エマイユ(七宝)、鼈甲を想定。色彩の重なりと明暗の強調によって、立体感と素材感を巧みに描き出している。櫛という日常的な道具が、女性像と自然のリズムを通じて一種の神話的表現へと昇華されている点も注目に値する。
《ナイアードの櫛》(ヴェヴェール兄弟による制作、ユージェーヌ・グラッセ原案、1900年頃)。目を閉じ、水面から上半身をもたげるナイアード(ギリシア神話に登場する水の精霊)が、波と髪のうねりの中に幻想的に溶け込んでいる。象徴主義とアール・ヌーヴォーが融合した本作は、グラッセによる彩色デッサンに極めて忠実に制作されており、金、七宝、鼈甲が織りなす華麗な素材感が際立っている。波間に漂う金の泡、青い七宝で表現された泡沫、髪と水流が一体となった装飾構成は、まるで物語の一場面を髪飾りに閉じ込めたかのような詩的構成である。金属は金か銀で検討されたが、最終的には落ち着きあるグレーの地金が選ばれ、透明な七宝との相性を際立たせている。
この展覧会は、ジュエリーデザイン画を「芸術作品」であると同時に、極めて機能的なツールとして紹介する。デッサンは、スケールの正確さ、石の色や配置、素材の指定などが緻密に描き込まれており、工房内で共有される設計図であり、プロジェクトの出発点でもある。
加えて、ジュエリーデザイナーの多くはアトリエで育成され、実際に職人としての訓練を受けた上でデッサンを描いていたことから、これらの図面には「描くこと」と「作ること」の垣根が存在しない。デッサンは単なるアイデアスケッチではなく、作品製作の実務的根幹として位置づけられている。
制作現場の事情が刻まれた図面
《フクシアのネックレス》デザイン画(シャルル・デロジエ、1905年頃)。紙面中央から垂れ下がる花房状のモチーフは、繊細に咲くフクシアの花を思わせ、ペアシェイプの真珠や色石を想定して描かれている。左右対称の構成に蔓状の葉と茎が絡み合い、有機的でありながらも優美なリズムが全体に流れている。グアッシュと鉛筆で描かれたこの案は、アール・ヌーヴォー期のジュエリーデザインにおける典型的な特長——自然への賛美、装飾の一体性、そして素材の美しさを引き立てる構造——を兼ね備えており、実制作に至らずとも完成度の高い芸術作品として鑑賞に堪える。
《フクシアのネックレス》(ジョルジュ・フーケ、シャルル・デロジエ原案、1905年頃)。繊細に透かし彫りされた金細工に、透明感のあるエマイユ(七宝)、ダイヤモンド、オパール、真珠を組み合わせて仕上げられた本作は、アール・ヌーヴォー期の植物主題ジュエリーの傑作のひとつである。フクシアの花房を思わせる有機的な曲線としなやかな蔓の構成は、デロジエによるデッサンに忠実に再現されており、まるで植物そのものが首元に絡みつくかのような詩的な動きを感じさせる。柔らかく光を受けるエマイユ・ア・ジュール(透かし七宝)は、葉の葉脈までも写し取り、静かに揺れるような生命感を生み出している。
ジュエリーデザイン画には、芸術監督や顧客、技術者、あるいはコンペティションの審査員など、さまざまな関係者とのやりとりが反映されている。指示や修正の書き込み、素材変更の跡など、現場の「声」が書き込まれた紙面は、まるで創作の実況中継のようだ。中には、最終的に製作されなかったデザインも多数含まれており、「作られなかった美」へのまなざしもこの展示の醍醐味となっている。
セカンドライフ——新たな価値を帯びた紙の遺産
《蝶と植物の装飾案》(シャルル・デロジエ、1900年代初頭)。三本の細長い茎の上に咲く花のように広がる葉、その中心に配された蝶の意匠は、植物と昆虫という自然のふたつの生命をひとつの構成に統合することで、アール・ヌーヴォーに特有の“自然の詩情”を表現している。このデッサンはジュエリーのペンダントトップや胸飾りの中心モチーフとして想定された可能性があり、蝶の翅にはエマイユやオパール、背景の葉には彫金や透かし七宝などが用いられることを想定させる。繊細な色彩指定と、下方にいくほど細くなる構図は、身に着けたときの重力と動きを計算に入れた優れた設計力を示している。
《蝶と植物の櫛》(1905年頃、シャルル・デロジエによる原案に基づく)。3本の細い茎が繊細に絡み合い、その先端には蝶の翅を思わせる白蝶貝が広がっている。中央には色彩豊かな七宝による蝶が舞い、装飾と自然の融合を象徴するかのような優美な構成となっている。素材には、艶やかな白蝶貝と透かし金細工、さらには七宝や小粒の宝石が用いられ、軽やかでありながら格調高い仕上がりが実現されている。植物の茎のようにしなる長い脚部は、髪に差し込んだときに自然と作品が浮かび上がるよう計算されており、日常の所作の中でジュエリーが一幅の自然詩として顕れる。
興味深いのは、こうしたデザイン画が、作品完成後もなお重要な役割を果たしている点である。ジュエリーが顧客に渡った後も、デザイン画は保存・再利用され、時に派生デザインのベースとなり、また顧客との対話やブランドのアーカイブとして機能する。ジュエリーが失われても、図面は遺され、歴史的・文化的・法的な価値を担う記録媒体として新たな命を得ているのだ。
プチパレのジュエリーコレクションについて
《アザミの花のコサージュ》デザイン画(ルネ・ラリック、1904年頃)。濃色の紙に描かれた本作は、中央の大きな宝石と両翼のように広がるアザミの花房が特徴的な構成で、植物の棘と柔らかな曲線を併せ持つ構造が見事に調和している。ラリックは、中央石やガラス製の花弁の質感を緻密な筆致と明暗で描き分け、エナメルとガラスの使用を想定しながらも、周囲のダイヤモンドは白いガッシュで軽く示すにとどめている。制作段階では職人の判断により宝石の数やサイズが最適化されるが、描画によって空間構成や素材の印象を明確に伝えることが、ラリックの卓越した設計力を物語っている。
《アザミの花のコサージュ》(ルネ・ラリック、1905年頃)。中央に大粒のアクアマリンを据え、左右に向かって青緑色のグラデーションを描くガラス製の花弁が広がる本作は、ラリックの自然主義的感性と象徴的造形力が融合したアール・ヌーヴォーの傑作である。金線により形成された鋭いアザミの棘は、ダイヤモンドの輝きをまとうことで華やかさと緊張感を併せ持ち、植物モチーフの中に力強い生命感と神秘性を宿している。あらかじめ描かれたデッサンに忠実に再現された構成は、ラリックが素材・造形・装着感に至るまで精密に設計していたことを物語っている。ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館所蔵。
プチパレは1902年の開館以来、ジュエリーの収集を継続しており、ルネサンス期の作品からアール・ヌーヴォー、アール・デコに至るまで、各時代の宝飾芸術を網羅している。特に、ジュエラーのジョルジュ・フーケが1937年に寄贈した作品群や、ジャック・ズバロフによるアール・ヌーヴォーの寄贈品、さらにファッション博物館から1979年に移管された品々は、同館の宝飾部門にとって中核的存在である。
今回の展覧会では、そうした収蔵品の中から通常は展示されない実物のジュエリー数点も併せて紹介されており、デッサンと実作品を見比べることで、創造と実現の関係性をより深く理解することができる。
展覧会情報
【会 期】:開催中〜7月20日
【開館時間】:火〜日曜 10:00〜18:00(週末は20:00まで)/月曜休館
【会 場』:Petit Palais(アヴェニュー・ウィンストン・チャーチル)
【料 金』:一般 14ユーロ/割引 12ユーロ/18歳未満 無料
【U R L】 :https://www.petitpalais.paris.fr/expositions/dessins-de-bijoux
GALLERY
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櫻井朋成
写真家。フォトライター
フランス在住。フォトグラビュール作品を手がける写真作家。
一方で、ヨーロッパ各地での撮影取材を通じて、日本のメディアにも寄稿している。
フランス在住。フォトグラビュール作品を手がける写真作家。
一方で、ヨーロッパ各地での撮影取材を通じて、日本のメディアにも寄稿している。